human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

ある関係の始終 の検索結果:

ゆくとしくるとし('17→'18)

…います。 (7)は「ある関係の始終」と題する数記事に「非常に抽象的に」書かれています。 一言だけ具体的なことを言い添えると、相手は「年下バツイチ子有り彼氏持ち」でした。 (8)は具体的に見学した図書館についてここに列挙しました。…ご飯が炊けたので先に夕食を食べようと思います。玄米ですが、こういう事態は何度かあり、「白米早炊き」で炊きます。 水分が粒の中まで浸透しませんが、まあ仕方ありません。 「くえるだけでもありがたや はらにはいればみなおなじ」 とは、『忍玉乱太郎』の忍術学…

コンポステーラの記憶、歩く必然

四国遍路の回想記↓は、序盤の山場手前で長らく更新が途絶えています。 司書講習が始まる前の、時間を少々持て余していた時期に書き始めたものです。 社会的立場は今もその時と変わりませんが、今はなかなかその時間が現れてきません。 大沢温泉(値段の安い自炊部)に連泊して、集中的に書く気がないでもありません。とにかく遍路の話は、まずは回想記に書こうと思っていました、が。cheechoff.hatenadiary.jp序盤の山場とは3日目の12番焼山寺の山越えのことです。 急勾配の山を越え…

別の次元の「つきあい」、もう一つのフィルタ ─ ある関係の始終についての演繹的思考 (3)

──ねえ。人って不思議なものね。生きている間は、ほとんど忘れていたのに、死んでから初めて始まる人間関係っていうものがあるのね。 ──海里のこと? ──まあね。あなただから言うけど、その人が死んでくれて初めて、その人をトータルな「人間」として、全人的にかかわれるようになる気がする。生きているときより、死んでから、本当に始まる「何か」がある気がする。別の次元の「つきあい」が始まるのね、きっと。あなた風に言えば、「咀嚼」できるっていうか。 梨木香歩『ピスタチオ』 前↓に「記憶の供養…

人への興味、「突き抜けたニヒリズム」 ─ ある関係の始終についての変転的思考 (1)

マティは、ぼうっとした顔をして、三本脚の腰掛に座っていた。屠ったばかりのヤギの皮をああいう形に組んだ木の杭に被せておくと椅子になるんだぜ、どんどん固くなっていくんだ、と三原が傍らでどうでもいいようなことを囁いた。そこに座っている人間より、人間を座らせている「もの」、民芸品や生活用品の方が三原の興味のプライオリティの上位を占めるのだろう。いや、自分のそういう部分をわざと強調する、これは彼独特の、露悪的なシニカルさなのかもしれない。 梨木香歩『ピスタチオ』 なぜか、ここを読んだと…

道徳の動特性、夢の責任 ─ ある関係の始終についての演繹的思考 (2)

それゆえ、これを認識すれば、もはや道徳の規範を固定した不動の規則とはみなさず、その更新のために働くことを絶えず人間に要求する動的な均衡とみなすようになる。無意識に獲得される反復の傾向を個人の性格のせいにして、その性格に反復の責任を取らせたりする考え方を、偏狭な見方だと次第に理解するようになる。内部と外部の相互作用が認識されるようになる。そして、まさにこの人間の非個人性を理解することで、個人的なものを、人間の基本的で簡単な行動様式を、つまり、鳥の営巣本能にも似て、ほんのわずかな…

記憶の供養、「観念の遊戯」でない知性 ─ ある関係の始終についての演繹的思考 (1)

…ば、 わずかだがすでに外側に通じた穴から、 自分の内側に向かって風が吹いている。その風が、この文章を生み出す源流なのかもしれない。 *1:注釈:タイトルにある通り、おそらく「ある関係の始終」そのことについては書かれないと思います。それゆえ非常にわかりにくい文章となることが予想されますが、もし琴線に触れるようなフレーズが見出されるとすれば、それが読む方にとっての価値の一つになると思われます。僕自身が、僕がこれから書く文章をあとから読むことにおいて見出せる価値も、それと同じです。