human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

ゆくとしくるとし '19→'20 1

年の瀬です。

今年は、いつもより寒くない気がします。
だからなのか、年末という感じがあまりしません。

毎年、年末になると頭の中に流す曲がまた同じように流れて、それで年末だなと感じる。

「節目」という感覚が、年々薄れているかもしれません。
年齢のせいかもしれないし、それとはまた全然違う理由かもしれない。

 × × ×

テレビの「NHKドキュメント」で、自民党の政治についての特集をやっていました。
最後までけっこう真剣に見たんですが、なんだか甲斐がないなと思う。
「永田町」というキーワードがもはや、政治じゃなくて政局の話題であることの表明になっている。

現役の総裁や大臣がインタビューで話していた言葉は、僕らに向けられたものではなかった。
せいぜいが内輪向けの、実際は自分自身に向けての、鼓舞なのか慰撫なのか、政治と関係のないプライベートな言葉。
もっと言えば、心の声のだだ漏れ。
「せっかく政権をとったんだから続けたい」
何? 修学旅行の思い出作りと一緒?


ただ、枝野氏がインタビューで言っていたことは、本当だろうなと思う。
不祥事や事件に関する釈明や説明が、事実に関係なく、落着させたい筋書に沿うように捻じ曲げられ、論理を損ない、そしてそれらがまかり通っている。
そうして引き起こされている事態を、枝野氏は「モラルハザード」と呼んでいた。
同じことを、小田嶋隆氏は日経ビジネスで連載しているコラムでは、もっと端的に「日本語が死んだ」と書いていた。

僕らにできることは、一つしかない。
政治の言葉の死に、巻き込まれないことだ。
マスコミは、巻き込まれる運命にある。
だから、一人ひとりが対処するしかない。

それは「正気でいる」ことかもしれないし、
あるいは「孤独に耐える」ことかもしれない。

変わるべきではないことがあり、それを自分の中で守り続けることが、対外的には状況に応じて何らかの形をとって表れる。
その形には意味がない、そのクールな認識を保つこと。

 × × ×

今年は昨日から実家に帰省しています。
年末に予定はなく、年明けも、合間にジムに登りに行く以外には入れていません(今日は長岡京市のジムで登り納めをしてきました)。

今年を振り返るのか、来年の抱負を見据えるのか、「ゆくくる」の進行はなりゆき次第ですが、
考えたいこともあるので、じっくりと書いていきます。

時間は、とてもゆっくりと流れています。