human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

Black Enigma

 
──あまり人の登りを見たりしませんよね?

「いくつか理由はあります。
 まずは、あまり参考にならないから。僕がそうなんですけど、能力バランス的にフィジカルが弱くて、でも足でグイグイ登るタイプの人はわりと少ないのです。足遣いが上手い人は上半身も強いし指も持てる。そういう人の登りは見ても真似できない。パワータイプの人も然り。
 もう一つは、人が登っているのを見ると、自分も登った気になってしまうんですね。これはオンサイトか否か、つまり初めての課題を何も見ずにトライするか答えを知ってトライするか、ということとはまた別の問題です。
 自分の頭で思い描いただけのムーブを、実際にトライして確かめる、という一連の試行錯誤には、いつでも未知の発見があります。身体が驚く準備ができている状態というのか。それが、人がやったムーブを再現しようとするトライは、何か邪念が混り込んだ感じになる。上手くできれば正解、できなければ間違い、みたいな、問題を解いているような、答え合わせのような感覚になる。それはまた一つの上達のプロセスではあるんですが、なんだか、目的がかちりと決められてしまったような不自由を感じる。自分の想像ムーブに対する答え合わせなら、正解すれば想像力の強化になるし、違っていればその齟齬が次の向上というか、新たな想像のヒントになる。
 僕はあまり『上達すること』に熱心ではありませんが、想像力が広がることは伸ばしたいと思います。上手くなること、高難度の課題が登れるようになることは、もっと色んな登り方、身体の動きができるようになることの、付随的な効果として表れてくればいいと考えています」

──課題を自分でつくるのも、目的は同じところにあるのですか?

「そうです。自分の身体との対話、という意味では新しい課題を登るのと同じです。でも課題作成には別の楽しみもあります」

──別の楽しみ、とは?

「キーワード的にいえば、ブリコラージュ、それとアフォーダンスですね。
 ホールドというのは、一つひとつに形があるわけですが、それが特定の形状の壁に、特定の向きで取り付けられている。ホールド一つを考えても、壁と向きとで、パターンはいくつもあるわけですが、それが、ある連関を持ちながらたくさん並べてつけられているのが、ボルダリングの人工壁というわけです。
 一つのコースを同じ色のホールドで作ることをカラーセットと呼びますが、カラーセットで作られた壁も、いくつものコースが隣り合ったり混り合ったりして、それぞれのコースとは別の小宇宙を壁の表面に形成しているわけですが、コースを作りながらホールドをつけるのではなく、壁に開いたボルト穴をとにかくホールドで埋め尽くす『まぶしセット』という手法もあって、こちらは完全に、壁形状とホールド群の宇宙空間のテイストがあります。既にあるホールドから課題をつくるという時、作りやすいというか、アイデアがどんどん生まれてくるのはやはり『まぶしセット』のほうですね」

──キーワードがおいてけぼりになっていますが…?

「そうですね。では順番にいきましょう。
 ブリコラージュ、文化人類学では器用仕事と訳されますが、簡単にいえば『ありものでなんとかする』です。何か問題に取り組むとき、その場にあるもの、持ち合わせのもので解決しようとすること、その姿勢。そういう人のことをブリコルールとも呼びますね。本質的に、人間はいつでもどこでもブリコルールだとは思うんですが、それはさておき。
 いろんなものが簡単に手間なく入手できる現代社会で、僕は特にこのブリコラージュが大事だと思っていて、効果の確かな効率の良いものを高コスパで入手して最短時間で解決、みたいなことは決して理想ではなくて、使い方とか、実用性とか、傍目にそういうことがよくわからないものを、自分の視点で使用して、使い途や効果を見出していく、曖昧であったり不明だったものを、自分の力で明らかにしていく、そういうプロセス自体が、現代では意識しないとできなくなっている。で、ぶっちゃけていえば、このブリコラージュそのことが生きることだろう、と思います。だから、効率とかコスパとか、善意で見れば、それは何か別の大事なことを達成するための道程の短縮として追求するのなら、まあそういうものかと思いますが、それ自体が生きる目的というか、生活の主体になっている人(そんなひと間近に見たことありませんけどね)がいたら、それは生きることに対して手抜いてんじゃないの、と思ってしまう」

──話がずいぶんそれてきましたが。

「すみません、戻しましょう。まあ、簡単にいえば、ブリコラージュは生きることそのもので、それ自体楽しいことで、ボルダリングの課題作成もその中の一つですと。登ってるだけで楽しい、課題作るだけで楽しい。言ってしまえば一言で終わるところを長々と語るための言い訳のようでもありますが。ああでも、このブリコラージュの肯定というのは、生活のほかの場面にもフィードバックがあるわけです。
 またややこしい話をしますが、『ありものでなんとかする』という姿勢は、ある見方をすれば貧しくもあるわけでしょう? 水性洗剤とか、重曹とか、汚れの種類に応じて使いやすい洗剤があって、それらを揃えれば大掃除なんかで苦労しないで済むのに、ぜんぶ雑巾1枚でカラぶきと水拭きだけでなんとかする、みたいな、これもブリコラージュと言えなくはないんですけど、『洗剤買いなよ』って素直に思いますでしょう、この場合。これはブリコラージュが苦労を背負い込む一例なわけですが、逆に、家にある全然違う用途の何かが掃除で思わぬ効果を発揮したりすれば、これはブリコラージュの役得なわけです。こういったように、ある人の生活思想としてブリコラージュが定着していて、ある一場面でブリコラージュがプラスに働いた時、その人の生活全体が明るく楽しいものになる。これが先に言った『ブリコラージュの肯定的フィードバック』の意味です。で、話を戻せば、ボルダリングの課題作成の楽しみや充実というものは、このフィードバックをもたらし得るのです。ということをさっき思いつきました」

──なるほど。そろそろ話を戻しますか。

「そうですね。では…えーと、しかし『楽しいです』と一言で終わってしまえることを、何か具体的に話せとおっしゃっているわけですよね」

──そうなりますかね。

「ふむ。では自分が作っている時のことを想像すれば何か思い浮かぶかもしれませんね。…ああそう、キーワードがもう一つありましたね。
 アフォーダンス。これは生態学者、だったかな、ジェームス・ギブソンの用語で、動物主体の行動が、主体の意志によるのではなく、主体の周囲環境によって誘発される現象とか、その環境効果のことを指していたはずです。記憶が曖昧ですが…ここでこの言葉を出したのは、ホールド、あるいは壁の形状とホールド群が、アフォーダンスを形成しているということです」

──その用語について少し説明してもらえますか。

「はい。例えば、ホールドが奥行きのある縦長の形状ならば、そのホールドはタテにピンチ持ち(親指とそれ以外の指とでつまんで持つこと)するようクライマーをアフォードしています。あるいは窪みが下から上向きに空いたホールドを見れば、下から指を引っ掛けたくなる。以上はホールド単体の話。別の例だと、同じ高さ、腰くらいの高さで1mくらい間隔をあけて2つのツノホールド(円錐台形のホールド)が並んでいれば、またその2つがスタートホールドだとすれば、それらは両腕を各々に上から突っ張って(体操の)鞍馬態勢をとることをアフォードしている。などなど」

──そのアフォーダンスと、課題作りが、どう関わってくるのでしょう?

ボルダリングにおけるアフォーダンスをわかりやすく言い直せば、ホールドはすべて『こう持たれたい、こう使われたい』という隠れた意志をその佇まいの中に持っているのです。だから、設定された課題を登る人は、その意志の声を聞き取って、あるいは課題者の意図を想像して、上手く登ることが要求される。一方で、元から並んでいるホールドから課題を新たに作る人は、一つひとつのホールドの声、また色んな組み合わせの複数のホールドが発する声(それは和音になるのでしょう)を聞いて、それを形にする作業が求められます。もちろん、ホールドの声を聞いたうえでそれを敢えて無視する、逆を行く、というやり方もあります。あるホールドを、その一番持ちやすい持ち方ではなく、掴みにくい、滑りやすい持たせ方を敢えてするように課題に取り込めば、その課題を難しくすることができます。
 課題をつくる作業は、いろんな意味で創造なわけですが、声を聞き分ける、複雑なホワイトノイズの中からある整った和音をそれとして同定するという繊細な手続きが一つ、また、これまで自分が登ってきて自分の身体に蓄えられたムーブの記憶もその同定作業に加わる。そして、自分が今までしたことはないが、このホールドの組み合わせならできるかもしれないという思いつき、これはアフォーダンスに導かれる創造ということになるでしょう。こうして言葉にしてくると、課題作成というのは、決して作成者の思いつきが全てではなく、壁が人に作成を促すようなところがあり、同時に作成者自身の頭の中から生まれたことも事実であるから、どこか自分の潜在能力が活性化されたような感覚にもなる。いわば、課題作成とは自分の中から謎が引き出され、その謎が形を獲得する過程なのですね」

──そしてその謎の色とは黒である、と。面白い話、ありがとうございました。
 
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Galera(@大正区)のメイン壁まぶしセットより