human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

ゆくとしくるとし '18→'19 5(完)

年末年始に書くこのシリーズですが、間が空いてしまいました。
原因は2日から長野へスノボへ行っていたこと、その出発までに書き上げられなかったこと。

さっきまで読み返して、加筆修正を少ししました。
勢いで書くと読みにくい所がちらほら、
それから、文脈上「書いておくべきこと」の追加。

今回はたくさん書きました(5までいったのは初めてです)。
読み返してみて、締めくくりのしようがない相変わらずの散漫さです。
まあ、最後まで思うまま書くことにします。

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これは昨日まで滑っていた栂池高原のゲレンデ。

 × × ×

去年は転機でした。

サラリーマンを辞めて2年ほどぶらぶらしていた(一本歯で四国遍路・そのための修行@京都、夏の岩手で司書資格取得・そのついでの雪国生活etc.)のが、去年なかばから新しい個人事業の仕事を始めた。

今年はまた、別の意味で転機になると思います。
去年がpublic turning pointなら、今年はprivate turning pointになる
そんな気がします。


先に、自分は「流される性質の人間である」と書きました。
けれど、これは実際のところ、見方の一つに過ぎません。

時々、自分のことをこのように認識することがあります。
自分を取り巻く「流れ」さえ見い出せば主体的に行動できる人間だ、と。

結局、思い込みや遺憾なき想像力の発揮によっても「流れ」は発生することがある。
それが自然なのか無理やりなのか、という話でもない。

意識は、自然か人工か?
脳の宿命的機能を自己参照すれば意識は自然であり、
身体から見れば意識活動は人工そのものである。
そういう話なのです。


縁とは、自然と人工の境界にあるものなのでしょう。
双方を包み込むもっと大きな、いや、際限のない存在。

そして不思議なことに、身の丈感覚は縁と相性が良い


縁を大切にして、
自分自身の生活の充実が、
僕と関わる人々にも伝播するような、
さらにはお互いに共鳴して"我々の"充実が増幅するような、
そういう生き方をする。

今年の目標。



今年もどうぞよろしくお願いします。

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