human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

mind magic multiplicity

Wシリーズ第2巻、読了しました。

かつてなく抽象度の高いシリーズだと認識しました。
森博嗣は余計なことをせずに、真賀田四季のことだけ書いていればいいんだ」と豪語していた司書講座の同期、イシーダ画伯にオススメしたいところです。

 × × ×

二人の絵に対する姿勢について、
「抽象性」という言葉が最初に浮かんで、
言葉が足りないかとその説明を考えているうちに、
「ものすごく具体的」という言葉も出てきました。
(…)
違わないはずはないのに、
この両者の違いが分かりません。
どういうことだろう…

岡潔と安西水丸の共通点 - human in book bouquet

その差異があまりに明瞭なものに対しては、それを表現する言葉を持たない。
具体的に一つ取り出せば、それ以外が捨象される印象を得て、嘘になる。
正確を期して膨大な記述を費やしても、量的に敵わないうえに、記述の順序が重み付けとなる。
そもそも、説明なしに差異の認識が人と共有できるのなら、それを表現する意味はない。

 「僕と君とは、いったい何が違うのだろう?」
 「…あなたは私と、いったい何が同じなの?」

その差異があまりに明瞭で、それでいて何かしら等しさを感じるもの。
それらのものに費やすに値する説明は、同一性についての表現。

疑問の余地がなかった差異に同一性のライトを照射して、浮かび上がる影は「謎」である。
影がその実体の存在感を際立たせる、澄明なる月夜の神秘。

 表現を要求する同一性は、運動を孕んでいる。

閃いた瞬間の真実には、やがて解ける魔法がかかっている。
生を変化たらしめる時間は、光に生まれた言葉を石に戻す。
言葉の輝きは宇宙の星々と同じく、原初との時間差を免れない。
ただ、過去に消えた火種に光を見るのは、時間を超越する意思の魔法である。

 解けない魔法がないとすれば、それこそが魔法の生命たる証。