human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

reality stimulates vitality

リアリティ(現実性)について。


言葉の理解は、文脈を通じて現れる。
辞書的な意味の暗記ではなく、異なる様々な使用場面が複合的に頭に展開されることで「体得」される。

「これはなかなかリアリティ溢れる小説だ」
「Sさん? ああ、あのタンクトップのリア充っぽい人ですよね」
「その話は非現実に過ぎる」
「生活を感じさせる家具が一つもない、現実味のない部屋」
「『リアリティって何や』て思とる、君の頭はリアリティ満載やで」

リアリティとは、プロセスに冠される言葉ではないかと思う


客観的な存在であるリアル(現実)に対して、本来「現実性がある」とは言わない。
リアルでないはずのものに、リアルさを感じて初めて、リアリティという言葉が登場する。

本来、と言ったのは、実用上、そうでない場合があるからだ。
たとえば、リアルに対して「リアリティがない」と言う場合。
それは、リアルであるはずのものに、リアルさを感じない状況の表現であるはず。
しかし、これは少し妙だ。
ここでは、「リアル」と「リアルさ」は違うものであるように受け取れる。
それがリアルなら、誰がどう感じようが、リアルに違いはないはずなのに。

リアリティとは、リアルの感覚的な把握との比較において成立するようだ。
比較が生み出すのは差異であり、リアリティ(の有無)は差異の発生に起因する。
プロセスは、時間を変数にもつ差異である。


リアリティを感じる対象。
それは、リアルになりつつあるもの、である。
これは先に触れたことを逆に表現したものだ。
つまり、リアリティを感じない対象は、
リアルを失いつつあるもの、であるとも言える。


「リアリティ溢れる小説」は、現実的にある、社会で実際に起こっていることが確実な話、のことではない。
そうではなく、それは「現実的にありそうで、起こっていてもおかしくない」話なのだ。

ノンフィクションが持ちえない小説の魅力は、このリアリティである。
社会の闇でも裏社会でもいいが、丹念な取材に基づいた事実と記録の提示は、取り上げた事件の「確実性」を強調することで、それがリアルであることを論証する。
だが、リアルであることそのことに対しては、リアリティを感じない。
ノンフィクションにリアリティを感じることがあるとすれば、それは「リアルに限りなく接近していく様」の描写にある。
それがノンフィクションの魅力なのかもしれないし、ノンフィクションならではのリアリティかもしれないし、あるいはリアルの確実性を論証し切れなかった半端ものにだけ言えることかもしれないし、この魅力自体が小説に属するものかもしれない。
この一節は、ノンフィクションを全く読まない人間の憶測である。


「非現実」という表現は、生活や空間に対して使われる時、薄っぺらさという意味をもつ。
小説においても、現実においても同様に。
似た表現を探っていくと、何かが見えてくる。
薄っぺらさ、それは「何も立ち上がってこない」という予感。
動きがない、変化がない。

インテリア雑誌で、調度の行き届いた隙のない部屋の写真を「現実味がない」と言う。
これは、生活感がない、と言いかえられる。
この逆を考える。
「生活感がある部屋」は、ソファの上にシャツやズボンが(だらしなく)引っ掛けてあったり、テーブルの上に染みのついた(飲みかけの)コップがあったり、キッチンに掛けられたヘラやお玉のメーカー(色)がばらばらだったりする。
そういう部屋を、住んでいる人の性質が連想される、と言ったりする。
「生活感のある部屋」のリアリティは、この連想にある。
どういう人がここで生活しているのか、を、「確定できる情報が散在している」のではない。
生活者を、様々に、想像できるというプロセス(可能性)にある。
その内容は、想像する人それぞれに異なる。

つまり、リアリティの備わるプロセスには「個性」が介在している


リアリティは感覚的なものである、と言った。
それは、リアリティが対象に帰属するものではないことを意味する。
つまり、何かにリアリティを感じるその人の側の問題なのだ。
根本的には、という意味ではあるが。

 × × ×

先に書いたことに再度触れる。

「リアルになりつつあるもの」に現実性を感じる。
「リアルを失いつつあるもの」に非現実性を感じる。

そして、この稿を書くきっかけとなった一節を抜粋する。

 虫や魚や爬虫類はグレイゾーンに置いておくとして、哺乳類や鳥類となると「リアリティ」ではないにしても、その起源となるようなものを感じているのではないかと私は思う。そのように思うとき「リアリティ」は、進化の系に一貫して流れている「生きようとすること」と強く結びついていると、私は感じているらしい。

「第6章 「リアリティ」とそれに先立つもの」p.98(保坂和志『世界を肯定する哲学』ちくま新書283)

こう並べてみて、
生命の本質は変化にあるという日頃の認識に、
次の一文を加えたいと思う。

「リアリティへの感度は生命力と深い相関がある」

と。

 × × ×

世界を肯定する哲学 (ちくま新書)

世界を肯定する哲学 (ちくま新書)