human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

香辛料の国 1-4

 
 連想の契機、可能性の感覚。夢は叶うと色褪せるというが、これは夢を現実化する能力や資源に恵まれない者の負け惜しみではない。何かができる、自分は変われると思うのは、今の自分には手が届かないが、霞む視線の先に未知の色を見るからだ。
 味や香の組み合わせは時に、算術和以上の効果を生む。互いに相手の良質を引き出した調和を感じることもあれば、素材の姿を見失うほどに新たな内実を獲得することもある。計算式を描いていた者はその意外性に驚き、充実を得るだろう。そしてこれは各々の素材にも当てはまることだ。我々も意外性と充実を遠望し、その機会を希求している。意志は起これば風に乗る。風はより好みなく全てを運んでゆく、彼らは重力を知らない。ゆえに我々は意志する、僕もその一つ。

「いつ消え去ってもよい、と考えたことはない?」
「何を言う。そんな恐ろしいこと、縁起でもない」
「そういう意味ではないんだ。消失を望んでいるわけではない。儚い残り香を悟った者の話を聞いたことはないかな」
「ああ、そういうことか。先行きの短さを知れば今一時が輝いて見える、っていうんだろう。でもそれさ、鮮度の高い私らには関係ないんじゃないの?」
「そうとも限らない。永遠の時間は束縛のない自由な感覚をもたらすと思われているけれど、束縛のなさは、茫漠としたあてどなさでもある。僕らが自由を活かせるのは、ある程度の障害や限定を抱えてこそかもしれない」
「やだね、好んで障害を抱えようなんて、普通は誰も思わない」
「話が逸れたね。君の言った先行きの短さというのは、一つの具体例というか、充実をもたらす核心ではないと思うんだ。どう言えばいいのか‥‥消失がすぐそこにあると、その終わりの瞬間を想像することになるよね。できることなら華々しく散りたいとか、ゲシュタルト的調和に呑み込まれて消えたいとか。本当に大事なのはそこなのではないかな」
「散り際をいつも考えていろっていうの? それこそ縁起でもないな。後ろ向きどころか、目を塞いで何も見たくないって言ってるようなもんだ」
「そういう考え方もあるだろうけど。たぶんウーシャンフェンは、理想の散り方がある、どんな状況でも間違いのない消え去り方があると考えている気がする。でも、そうじゃないんだ。僕らはそれぞれが実にいろんな散り方をする、時に鮮度には無頓着に。理想がただ一つしかなかったら、僕らの大半は悲しみや後悔のうちに消化されていることになる」
「消失は誰にだって悲しいし、後悔だってするだろう。散り方に理想があろうがなかろうが、そんなこと関係ない」
「僕が言いたいのは、実際に理想の散り方があるかどうかじゃなくて、あるかどうかわからないけれど、それでも僕らはより良い散り方を目指しているということなんだ。僕らはそれをいつも忘れている、けれど残り香を悟った者はそれを思い出して、しかも二度と忘れない。忘れることができないんだ。でも僕はそれを、束縛の苦痛ではなくて、自由のための限定ではないかと考えている。そして、どうすれば今の僕がその限定を獲得できるだろうかと考えている」
フェンネル、あんたって、前向きか後ろ向きか分からんな」

 目を閉じれば暗く、開けば明るい。暗さによって光の受容体は感度を向上させる。明るさを眩しいと感じるのは最初だけ、眩しさに順応すると全てが平板に見える。暗闇における受容体の賦活は、見ようとして見るものを見ず、見えてくるものを目に見せる。平板な視界はその世界と同じく、見えるものに溢れ、目は見たいものとしてそれらを見る。視覚の比喩はその世界と同じく、他を威圧する勢力を誇るが、目を閉じれば沈黙する。沈黙は金、だが金は沈黙しない。暗闇は、金の沈黙する世界。