human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

"walking sincerity"、「行間のある会話」

一昨日に、高校の同級生と久しぶりに会って話をしました。
数年前の同窓会ではロクに立ち話もしませんでしたが、それ以前に在学中もこんなに長く話したことはなかったかもしれません。
聞けば彼女も独立して個人事業で生計を立てているという。
驚きはしたものの、なるほどと思ったのは、「今だからこそ会えたのか」ということでした。

会社員時代も旧友と久闊を叙す機会はあったのですが、会った時の印象、自分の気持ち、話の内容などを思い返してみると、会社を辞めて(つまり会社という「大きなもの」に所属しなくなって)からの同様の機会と比べて、明らかに違う。
なんというのか、前は、自分のことを他人事のように話し(それを客観的な分析だと誤解し)、旧友の話も「そういうことって、よくあるよね」という、なにか(自分と相手という)個性を一般人の枠内にはめ込もうとする空気がはたらいていたように思います。
「これでいいのか」とか「将来こうしたい」とか口にする内容に関わらず、現状肯定の、ある種の諦めを含んだ空気が漂っていた。
自分の力では(自分のこと以上のことは)どうしようもない、考えても仕方がない、という「なにか」に対する消極性。

一昨日の記憶を振り返ってみて、上に書いたような前にはなかった感覚として、「自分には何ができるか」という視点で話をしていたことに、今感心しています。

組織の後ろ盾がない個人の「現状維持」は、即、停滞を意味する。
今の自分があって、今の仕事があって、その自分の仕事がいつまでも続くなんてありえないという認識が当然にある。
変わりたい、という願望が悠長にすら思える、「変わらざるを得ない」状況。
真剣に思考できる状況として、これほどふさわしい時期は、これまで無かったのではと思います。

 × × ×

その元同級生は、多くの人と関わり、人と人をつなげる仕事をしていて、昔からそうでしたがよく考えよく喋る子で、そしていつでも真剣なところも変わっていませんでした(その「遍き真剣さ」が時に人間関係における問題を引き起こしていましたが、今思うに、それは他の当事者の真剣さが足りなかったのでしょう。今僕は「真剣さ」を「生命力」と同じように使っています)。
普段から考えはするが口にすることのない僕は、彼女の作り出す「真剣な会話空間」に馴染んで、これまで面と向かっては人に言ったことのない話をしました。
いや、実際は「話をしようとした」で、その話をするための前段の構築のところで口が頭に追従できず、話があやふやになって別の話題へ移ったのでした。
けれど、僕の面倒な「前段の構築」にも真剣に耳を傾け、それが曖昧に途絶して話が変わる直前に、鋭いコメントをくれたのでした。

「せんちゃんと話してると、立場の説明が長くなるね」

そう言われて、なにか深い納得があり、しかし同時に「ちゃんと考えなければならないこと」が生まれたようでした。
後者は、彼女に対する弁解としてかもしれず、あるいは理解以前に留まっている僕の認識を言語化する必要としてかもしれない。


「これまで面と向かっては人に言ったことのない話」と先に書きました。
これはすなわち、思考するための文章として今まで書いてきたことを指します。
僕が「前段の構築」という回りくどいことをやろうとしたのは、会話に通常使われる「意思伝達のための言葉」ではなく、「思考のための言葉」、つまり何が出てくるか本人にも分からない言葉を会話に乗せていいのかという逡巡があったからです。
いいわけがない、相手に不快を与えたり誤解を招くような発言が制御を外れて飛び出すような会話は、コミュニケーションを円滑にとろうとする意思があるのなら、少なくともまっとうな形態ではない。
と、僕はそう思っていたのですが、このようなことを言うと、彼女は「そうとも限らないんじゃない」と言いました。

「そういう会話ができる場合も、つまり、そういう会話ができる相手もいると思うよ」


それはつまり、お互いが相手の人間性を認めたうえで、そして会話の内容が先走りすることなく、発言の一つひとつが相手の口調や表情によって時に文脈から離脱することを許容する、いうなれば「行間のある会話」のようなものではないか。

僕は、思考のための言葉を文章に綴ることをある種の「実験」と認識していて、この同じ言葉をこれに当てはめるのはあまりに素っ気ないのですが、なにかやたらにハートウォーミングな表現を除けば、ほかに思い当たりません。

なので仕方ないのですが、単独実験を底の割れた未知空間の広がりと思う僕には、ペア実験である「行間のある会話」が一体どういうものであるのか、全く想像がつきません。
「そこ」で僕が何を話し、どんな表情をしているのか。


ただ非常に興味深いと思い、そして機会は大切にしたいと思うのみです。