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大阪市内で工業デザインの仕事を始めました。ボルダリングも続けます。

『14歳のバベル』(暖あやこ)を読む

ちょっとした縁があり、『14歳のバベル』(暖あやこ)を読んだ。
SIMは途中からSF度が増してきたので魔法都市ゴドランド
原曲はごちゃごちゃしているが、頭の中でBGMを流すので「実際」はシンプル。
以下、思ったことをちょっと書いてみます。
(SIM : Synaptic Imaginative Music、脳内BGM。造語です)

キーワードはとりあえず(1)「一気読み」と(2)「親切な小説」。

(1)
一つ目はAmazonか何かのレビューでちらりと見た言葉。
なるほど仰る通り、先へ先へと導かれるように読んだ。
これは自分が普段読む小説とは違う性質で、疲労があった。
現象的には逆なはずなのだけど、不慣れという意味で疲れたということ。

基本的に「一気読み」は読み物におけるポジティブな特徴とは思っていない。
 一つ、立ち止まって考えさせるところがあってほしい。
 意味の不明瞭(不思議な比喩とか)にせよ、行間に漂う存在感にせよ。
 二つ、いったん読むのを止めて間を(読者に)おかせる性質も好ましいと思う。
 内容が時間をかけて身に染み込む、あるいは形を変える過程も読書の醍醐味である。
これらがあまり起こらないのが「一気読み」できる本だ。

先にネガティブな言い方をしたが、これはもちろん一面である。
逆に言えば、話の展開にスピード感があり、それを臨場感として味わうことができる。
些細な(本筋と関係ない)表現にいちいち立ち止まって気を散らされることが少ない。
どちらがよいかは読者の趣味で、自分は前者というだけである。

両者は、フィクションの現実(生活)への影響度の差として比較できる。
「一気読み」を好む読者は、小説を読む間はフィクションにどっぷり浸かっていたいと思う。
そうでない人(たとえば自分)は、フィクションの生活に対する何らかの影響を期待する。
フィクションに限らず、自分は読書とはそういうものであるという認識がある。

(2)
「親切な小説」とは何か。
ここでいう親切とは、作者の読者に対する配慮を指す。
上に書いたことも関係するが、それ以外にもある。
 たとえば、伏線に対する配慮。
 伏線にそれとわかるマーカーをつける、後で必ず回収する、回収時にも目印がある、等。
 たとえば、物語進行の理解に対する配慮。
 登場人物の発言に心情描写を足す、登場人物の行為に「神の視点」の説明を加える、等。
これらの配慮は、必要性の程度が読者によって変わってくる。
多くの読者に読んでほしいと思えば、作者は配慮を念入りに施すかもしれない。
ただ一方で、(様々な理由で)説明過剰を嫌う読者がいることも確かだ。
自分もその一人である、が、個人的な理由はさておく。
かわりに、今書きながら内田樹メディアリテラシー論を連想したのでそのことに触れる。

 新聞の読者減少傾向はずっと続いている。
 制作側の対策の一つとして「より読みやすい紙面構成への切り替え」がある。
 その具体例としては「大きな活字」「表現の平易化」「難読漢字の不使用」など。
 後ろの二つは、活字離れが言われる若い読者に向けられている。

 読解力が低下した若者にも読めるように、紙面の文章も簡単にする。
 それで読者が増えないとも限らないが、問題は別のところにある。

 読者の文章理解力に新聞が同調すると、その理解力の低下は止められなくなる。
 読解力のつく文章とは、そもそも読み手の能力をいくらか上回る文章ではないのか?
 そして活字に興味を持ち、向上心を刺激する文章も、それと同じなのではなかろうか?

書きながら別のことを思いついた。
物語のストーリー把握は、読解力とは別の問題ではないのか、と言われそうだ。
小説は読解力を鍛えるためではなく、物語を楽しむために読むものだ、と。
大筋はその通りだが、自分についていえば、全面的にイエスとはいえない。
なぜなら、読書の幅を広げたいと思っているから。
「今は手が届かずともそのうち読めるようになる本」も読みたいから。
これは「物事を知るとは”分からないことが増えていく”ことである」のと関係している。

…と当てずっぽうに書いたが、どう関係しているか?
すぐに整理できなさそうなので、保留にしておきます。


小説の内容にほとんど(というか全く)触れませんでしたが、以下少しだけ。

 × × ×

物語の現在時から8年前に、日本で「大きな事件」が起こったという。
主人公の14歳の少年は、その「事件」がきっかけで精神に深い傷を負う。
 「事件」によって、日本のあちこちに居住不可能地域が出現した。
 居住不可能地域では「メーター」が振り切れ、緑地や農作物が汚染された。
 また「事件」は「サイバーテロ」でもあったという。
 「事件」が起こって日本ではネットが使えなくなり、海外との通商が激減した。
 携帯電話がなくなり、脱「ペーパーレス化」が進行し、ハンコ屋が繁盛する。
ハンコ屋というのが面白いんですが、それはさておき。
「事件」について、物語の中で何度もその断片的情報が開示されます。
が、実際にどういうことが起きたのかは具体的に書かれないまま結末を迎えます。
「メーターが振り切れ」と言われれば、なんとなく原発が関係していそうです。

日本が半鎖国状態になる、という展開はいいなと思いました。
養老孟司氏が「参勤交代のすすめ」と併せて鎖国を提唱していたのを思い出しました。
物語内では「鎖国によって日本国内で均質化が進んだ」とありますが、
江戸時代の幕藩体制を思い浮かべると必ずしもそうなるわけではない気がします。
(地方の特産物という概念が生まれたのがたしかこの時代だったはずです)

ポジティブな「鎖国小説」を読んでみたいなとふと思いました。

 × × ×

14歳のバベル

14歳のバベル