human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

原発神話と小商い、精神の貧乏性

『小商いのすすめ』(平川克美)を読む。
SIMは村松健「北帰行、ついておいで」。
汎用性の高い一曲。小説以外の、思考を巡らせる本でよく流す。

「経済成長から縮小均衡へ」の章で、橋本治氏の本の引用がある。
自分も全巻持っている『貧乏は正しい!』の初巻。
 若者は本質的に貧乏である。
 若者の力は貧乏に発する。
 社会が力の無さを富で隠蔽する時、衰退は始まっている。
平川氏はこの内容を「貧乏とは野生の別名である」と読む。
 戦後から東京オリンピックまでの復興期の、日本の大人にあったもの。
 貧乏は金の無さ、住まいの貧しさとは関係がない。
 進歩発展の余地があり、それに取り組める環境があるということ。
 復興期の世間の明るさは「貧乏なれど」ではなく「貧乏がゆえ」であった。
この貧乏=野生論が東日本大震災原発人災に結びつけられる。
 震災で崩れた原発神話の擬制は「富による隠蔽」の典型であった。
 原発の、万一の災害コスト、核燃料の処理コストの転嫁。
 一、立地自治体への迷惑料。一、原子力系技術者の抱え込み。
 擬制の欺瞞に対抗するための「野生の復権」。
続きも気になるが、自分は違うことを考え始めた。

小商いは上記の貧乏と深い関係がある。
復興期は「生活上の必要物資の需要拡大」があったが、今はない。
平川氏の「野生の復権」の展開はもちろん小商いベースになされる。
 消費者と生産者が共同でつくりあげる商いの場。
 その場になくてはならないのは、生産者の丹精が込められた商品。
つまりモノベースの商売における貧乏=野生性の復活について語られるはずだ。

 × × ×

一方で、自分は精神面の貧乏性について考えてみたくなった。
ハングリー精神、という言葉があるが、これとは違う。
精神に進歩発展の余地があること。
これはどういうことか。

モノの充実とはあまり関係がない。
むしろその充実は「余地」の感覚を鈍らせるだろう。
いや、そうとも限らない(森博嗣の例がある)。
清貧は生活における精神の活動をシンプルにしうる。
シンプル、つまり単調、単純。
経済の均衡は望まれても、精神の均衡は、おそらく進歩発展とは別方向にある。

生命活動のリソースを脳へ多めに振り向けること。
逆からいえば、身体性にあまり配慮しないこと。
文学者、昔の文豪などはこういうイメージがある。
これは、自分が好まないとは別に、これも違うと感じる。
なぜだろうか。

「人間は必ず自分の意思とは異なることを実現してしまう」
平川氏が本書で引用していたアダム・スミスの言葉(『国富論』)。
この人間の本性を表す言葉は、いろんな位相において解釈できる。
が、ここでは解釈よりは言及を優先する。

ものが豊かになった社会は、この人間理解から遠のいてしまう。
自分の意思を実現できる機会に恵まれている、と思うために。
「将来への不安」が漠然とするのは、このせいではないか。
想像通りの、不都合の特にない、勝ち組*1的な生活が私達にはできている。
できているはずなのに、どこか満足せず、なにがしかの不安が消えない。
そしてこの不安の元をたどることを考えず、見なかったことにする。
これは精神に進歩発展の余地がある状態ではない。
精神の荒廃かといえば、そうでもない。
精神が不用であり、不要な状態なのだ。
…どうもこの手の思考は反知性主義に落着してしまうらしい。


精神の貧乏性について、否定表現を連ねようと書く前は思っていた。
精神の貧乏性とは、あれでもない、これでもない、という風に。
変化への意志である、などと言い切りたくはない。

進歩発展は、経過、プロセスである。
目指すもの、到達すべき目標があり、そこへ向かって歩みを進めている状態。
精神の貧乏性も、その維持は、プロセスである。
ただ戦後復興期と違うのは、定まった目標がないこと。
変化への意志という表現も、一つの目標を意味するものではない。
上述「言い切りたくない」のは、それが自己目的化してしまうからだ。


分からない。
行き詰まった。
なぜか分からないが、「精神の貧乏性」が自分には良い言葉に響く。
橋本治氏の『貧乏は正しい!』シリーズをもう一度読み返してみようかと思う。
広告時評の連載『ああでもなくこうでもなく』全6巻はつい最近読み返したところで、
多少食傷気味だと思っていたが、そうでもなくなったかもしれない。

そうだ、一度読んだ本を再読することへの抵抗がここ最近の自分に見られた。
「前へ進まねば」という意識がそうさせていた。
再読は、過去への安住を求める気弱さを助長する。
もちろんそういう面もある。
そしてもちろん、そうとは限らない。
新たな問題意識を獲得した時の再読は、新たな発見を導く。
たとえば、今のような。

新刊で本を買わない習慣が、この時々の弱気さを生み出しているのだろうと思う。

*1:どこで読んだか、「勝ち組」の語源は、ブラジルに入植していた日本人の中にいた、戦後に決して日本の敗北を認めなかった奇特な一集団を指すそうです。