human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

free dialogue in vivo 4

「そういものが、あるとしての話です」


現実とは何か?
畑を耕したり、車の部品を組み立てたり、そういうことだけではない。
本を読むことも、一人でご飯を食べることも、そういったことも含む。
現実は、生活と言い換えてもよい。

生産性という観点に立てば、現実や生活はなにかしら生産に貢献しているかもしれない。
ものを生み出すことに直接携わる仕事。
ものを生み出すための道具や身体を維持する間接的な行為。

形の有無を問わないとして、生産の対象を広げて考えてもよい。
その場合に問題となるのは、生産の成果を捉えにくくなること。
形のないものは、一人の従事によって、いつ、どれだけ生まれるのか?
この問題の看過を許さないのは、生産性を評価分析する目があるからだ。

評価分析は個人の営みではない。
自分以外の人のための仕事を媒介するためにそれはある。
それゆえ自己分析は他者を挟んで評価分析が二重になったものだ。

仕事の評価は、その円滑な遂行が目的である。
社会生活における遅滞なき仕事の進行は、個人生活を豊かにする。
よって個人生活の内側で閉じる評価分析はその本来の役割を見失う。

「前に進むことがそのまま、あの頃に戻ることだったらいいのに」


有機物はすべて変化の機能を自らの奥深くに秘めている。
機能は、原理であり、必然であり、宿命であり、消尽である。

人間の脳における変化は、人間の身体を含めて他のあらゆる有機物と異なる特徴をもつ。
脳内の複雑怪奇な神経ネットワークに宿る変化は、創造性と直に結びつく。

意識は時間経過における同一性を認識のベースに置いている。
自己を一定とみなし、地位や関係に固執し、過去の記憶に撞着する。
不変の志向とも思われるこの意識作用はしかし、創造性の発揮には不可欠の基盤である。
変化現象を了解する前提は、以前と以後の両状態の把握およびその差異の認識である。

ところで、ここで了解される変化は、創造性の過程で認識しうる側面に限られる。
意識は可知対象を拠り所にせざるを得ないが、その深い底に充満する靄を無視できない。
靄の中をうつろう影の本体を見定めようと、手を突き入れて掻き回す。
創造性は、無秩序な影遊びと、勝敗の決まらぬ影縫いの、時空を超えた戯れである。

「もう、終わりにしましょう」


始めるために、終わらせる。
終わってほしくない思いは、始まりの予祝である。
始まりの期待は、終わりの未知に同期する。

現実は、いつも始まっていて、いつも終わっている。

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パロール・ジュレと紙屑の都

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