とりあえず司書資格取得を目指します。
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初期投資として司書の仕事や資格のことが分かりそうな最近出版の本(1)を新品で買って読み、1冊目からの数珠繋ぎで気になった本(2)(3)を図書館で借りて読み、図書館の棚を巡る中で興味が湧いた本(4)(5)(6)を借りて読み、ついでに綺麗な写真集(7)も借りて読んでいます(1~7は最後にまとめてリンクを張りました)。
(1)を読んで司書にもいろいろあること(司書として勤務する図書館にもいろいろあるし、学校司書が勤める学校もいろいろある)、募集が極端に少なく雇用条件が不芳のわりに応募が多い職種であることを知りました。
(2)はランダナカンという図書館学では有名な人の「図書館の五法則」についての本の抄訳・解説書です。図書館はあくまで利用者の目的達成を援助するものだ、という基本思想に親和性を感じました。五法則とは、記憶を頼りに列挙すると以下のものです。自分の頭に刻まれたことを整理するためなので細かくは(あるいは大きく)違っていると思います。
1. 本は利用に供するものである
2. あらゆる読者に、その人の本を
3. あらゆる本に、その本の読者を
4. 読者の時間を節約するべし
5. 図書館は成長する有機体である
「五法則」の原書では各法則が人格を持ち(人、それも女性に喩えられ)、彼女らが図書館運営に関わる人々(館長や司書だけでなく、行政や教育の担当者なども含む)に法則の意味するところを、優しくかつ粘り強く示唆していきます。この優しさと粘り強さがそのまま司書(図書館)の望ましい性質となっていて、僕がいいなと思ったのはそれらの性質は「自覚」を大事にするからです。…これを「司書が利用者の自覚を促す」とそのまま言い換えるとなんだか偉そうに見えますがそうではなく、司書は利用者の主体性を最大限発揮できるように手助けをする。本や資料の推薦はしても押しつけはせず、説得もしない。選択肢の提示ではあるけれど、無闇やたらではない。無闇やたらではないのは利用者の「人を見る」からで、検索結果の列挙とはその点が異なる。図書館で本と出会う人は匿名ではありえないのです。
(3)では学校司書が先生や生徒と、そして授業とどう関わっているかの実践例が豊富に書かれています。学校司書は教員免許を持つ司書教諭とは違いますが、図書室のカウンタにいたり、また調べもの学習等の授業にアシスタントとして参加することで教員としての役割を要求される場面があります。
この本を読み終えた頃に小学校の頃の担任と深く喋る機会がありました。大人になった今でこそ聞ける担任の教育方針や陰に陽に努力されたことを聞き、稀有な先生に出会えたものだなと改めて思いました。僕はその先生に多大な影響を受けたと昔から自覚しており、それが「教育者なんていう責任の重い職業には就くまい」という認識に繫がっていたので、(3)の本を読んで「学校司書だと教員免許がなくても教育に関われるのか…いいなぁ」と素直な感想を抱けたことに最初はびっくりしました。けれど先生に久しぶりに会って、「そうか、先生と出会えたからこそか」と気付きました。
過去の出来事は全て良い思い出で、けれどそれを振り返るのはいつも「今」なのですね。
(4)では図書館というハードを持たない、書籍の全データ化に加えて貸出返却もネット上で行う電子図書館の実現のためにいろいろな想定が展開されています。本文はインターネットが本格的に普及する前に書かれており、多少古い技術を前提して書かれているため現代から見れば大袈裟な記述がわずかに見られます(書籍のデータ化は大変だからそれ用の工場が必要だ、など)。がそれは別に大したことはなく(記憶として最初に思い浮かんだだけ)、レファレンスもネット上で、しかもなるべく人手をかけず、つまりプログラムを組んで自動で行う方法の検討などは興味深い内容でした。今でいうとネット検索のノウハウに近いです(いや、そのものかな)。
(5)は図書館の建築面に光を当てた本でした(借りる前の立ち読みでは気付きませんでしたが)。本を借りる場所か勉強する場所として主に利用されてきた図書館が近年は「人が集まって何かをする場所」として注目されていて、新しい図書館ほどコモンスペースが取り入れられているようです。また地域の活性化を担う使命を帯びて新設される図書館の例として、建物として周囲の自然環境に溶け込む工夫が紹介されています。
ところでこの本の中で紹介されていた「.03」という椅子がステキで、商品HPの紹介写真の中で「椅子を台にして乗っている人の足の重みで台座が凹んでいる写真」に一目惚れしました。高価ですが、今は吝嗇モードが限定的に(主に家具に対して)解除されているので買っちゃうかもしれません。
(6)は今日読み終えたところで、記憶が一番新しい…のですが、いろいろ書いてみたいトピックはあれど力量不足で書き始めると収拾がつかなくなりそうなので感覚的な感想だけにします。
図書館は公共施設だとか、利用は原則無料だとかいう常識は60年以上前の図書館法に根ざしていて、図書館の利用のされ方は当時とはだいぶ違っているからそれらの常識も見直すべきだといった話がこの本の最後の方に書いてあって、また電子媒体の資料の扱いとか出版業界との兼ね合い(「ベストセラー問題」)とかホットな課題もあって、これはランダナカン五法則の5のことだと思えば人間味が湧く…というか知の在り方、とどのつまりは「人間の在り方」の問題であって、こういう見方をすれば僕にもこの問題全体に興味が持てます。
「持てます」なんて言い方をするのは、僕はものづくりの会社で働いていたわりに最先端技術に対する能動的興味が薄くて、それは身体性に拘りだした頃から「身体性賦活と技術革新は相容れない」という認識をもったせいだと思うんですが、とはいえ人間は身体と脳のバランスで生きているので(いくら現代社会が脳偏重とはいえ)身体だけでなく脳のことも考える必要があって、上に書いた「人間の在り方」というのはもちろんこの両方に関わるからです。
どれだけ技術が発達しても本はなくならない、という著者の言に僕も賛成です。
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図書館の歩む道―ランガナタン博士の五法則に学ぶ (JLA図書館実践シリーズ 15)
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本に関係する仕事をしようと思ったきっかけはいくつかあって(いくつかは一つ前の記事に書いたような)、その中の小さな一つが、「本はなくならない」とさっき書いたことと矛盾するなあと思うことで連想されたので、書いてみます。
前に『竜の学校は山の上』(九井諒子)のレビューみたいなものを書きました。
cheechoff.hatenadiary.jp
この短編に出てくる竜学部の部長はこんなことを言います。
「 世の中には二種類のものしかない
何かの役に立つものと
これから何かの役に立つかもしれないもの だっ 」
そして、役に立たないものを見捨ててしまったらもう二度と戻って来ない、役に立つかもしれないものを「狐の葡萄*1」にしちゃいけない、と。
この部分を何度目かに読んだ時に、「よし、じゃあ僕は本を守ろう」と思いました。
もちろん本が役立たずなはずはないのですが、単純な連想では「電子書籍に席巻されて消えゆく本を守る」という文脈で、そう思い込めば納得できなくもないですが、(1~6の本に感化された物言いかもしれませんが)冷静に考えれば、本がなくなるはずはありません。
大局的に見ればそうで、では、というか、そもそも僕は何をもって「”本"を守ろう」などと言ったのか?」
うまく言えませんが、それは「本自体」ではなく「本と人との関わり方」ではないか。
そして司書としての仕事の中でそれを人に伝える事ができたら、それこそ「冥利に尽きる」というやつだろうな、と。
*1:「すっぱい葡萄」のことだと思います。 すっぱい葡萄 - Wikipedia