human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

旅を終えての所感(一本歯歩行について諸々)

4/27に全行程58日の四国歩き遍路旅を終え、無事に戻ってきました。
実家に戻ったり昔お世話になった人に会ったりして、家にいる間は旅日記と地図を眺めて旅を振り返り、今後の仕事について考えています。

日記を読むと毎日いろんなことが起こって、多くの縁が生まれたことがまざまざと脳内に浮かんでくるのですが、頻繁に色々起こりすぎて記憶の時系列はめちゃくちゃで、会った人、起こった出来事は、「歩きの記憶」を核とした身体記憶として身体に刻まれています。
(「います」と脳が断定できることではありませんが…)

人や出来事については日記に書いてあるのでまた気が向けば載せるとして、「歩きの記憶」と「歩きの記録」についてここでは書いておきます。

 × × ×

一本歯下駄(天狗下駄)で約1200kmを踏破するという思い付きから生まれた酔狂な挑戦は、足を怪我することなく戻ってこれたことでまず成功したと言っていい。
(足指の付け根や足首の疲労はまだ取れていなくていつも通りの歩き方ができません。今はしばらく毎日歩く生活を続けてクールダウンしつつ、徐々に治していく過程にあります)

「歩きの記憶」とは、
 (1)どこの道をどんな調子(体調や気分、天気など)で歩いたか
 (2)どこの道でどう転倒した(躓いた)か
と大別してみますが、(2)は本当にインパクトがあって、日記にも記述はありますが、地図を見ただけで記憶が甦ります。
(1)がとても広くて、会った人やお寺の記憶の多くもこれと結びついていて、記憶が頭の中の記憶というよりは「身体記憶」だと言っているのはこのことによります。

歩く間は基本的に頭の中は空っぽで(考え事をすると歩調が乱れるし、山道=自然道では本当に面白いくらい考え事をした途端に(足下への注意を同じように向けていても)こけるのです)、宿に落ち着いてから行程の計画を立てる間を除けば旅はほとんど「身体との対話の時間」でした。
この時間は今まで脳主体で生活してきた自分にとっては本当に貴重な時間であり、経験でした。

この経験が僕を新たな生き方に誘っているのですが、それはまた別の話になります。



「歩きの記録」について、恐らく(過去に先駆者がいたとしても)ウェブ上に「一本歯で四国を歩いた記録」はなかろうと思うので、自分もやってみようという酔狂な後進のために(僕は歩きながらその種をいくつか蒔いてきました)少しばかり残しておきます。

一本歯で歩くことは、ちょっと練習すれば平地なら誰でもできます。
見た目のインパクトで不安定な印象が強いのですが、二本歯より歩きやすいのは確かです。
ただ山道を歩くとなった時に、不用意に歩くと簡単に怪我をします。
躓いたり地面を踏み損ねるのは日常茶飯事、転ぶのも当たり前という認識を持ち、「躓いても(転んでも)怪我をしない躓き方(転び方)」を体得する必要があります。
これは頭で考えながらできるものではなく(実際躓いている間にそんな時間はありません)、反射的に身体が動くようにしなければなりません。
僕は今回の旅中で躓いたり転倒した時、正確にいえば「その最中」では頭の中が真っ白になって、我に返ると無事に立っていた、あるいは無事に地面に転がっていました。
頭がその過程を把握できないというのはすごく不安なことで、ひどく荒れた山道を歩いていてふと冷静になると「なぜ自分はこんな道を歩けているのだろう」と不思議に思ったりしました(そのままこのことを考えて続けていると足が前に出ないので、「まあ歩けてるんだからいいか」と棚上げすることになります。「今日まで太陽が昇り続けてるんだから明日も日は昇る」というのと同じですね)。

(主に)山道における一本歯歩行について、注意すべきものを思いつくまま挙げてみます。

石ころ、岩

石ころを踏むと、下駄が左右にぐらつきます。
それが大きい石だと下駄が横倒しになり、足首をひねることになる。
なのであるサイズ以上のものは基本避けて歩きます。

石畳

これは山道に限られず、寺の参道や敷地内にも多い。
滑ります。
表面がつるつるしていたり丸かったりするとさらに滑ります。
雨が降っていたり濡れていると「もう勘弁してくれ」というくらい滑ります。
可能なら避けて歩きます(道の端で石畳が途切れている場合など)がそれが無理なら、ざらざらした表面を狙うか、石と石の隙間を狙って歩きます。

板橋、丸太橋、木の根

木も石畳に劣らず滑ります。
板状の橋も侮れず、濡れていたり斜面になっていると簡単に滑ります(なんとなく大丈夫そうに見えるので僕は油断して何度も転倒しました)。
木橋は、もうどうすればいいんでしょう、渡す方向に踏むと間違いなく左右にぐらつくし、カニ歩きの方がまだマシでしょうか。丸太と丸太の隙間がなければ利用できますが、スカスカだと大変です。
根っこは踏んだ時にどうこけるかの予測が難しいのでやはり避けます。

砂利

寺の敷地内では砂利石が細かいのでまだいいですが、山道によっては駐車場のような粒の大きい砂利が敷いてあるところがあります。
これも踏んだ時の下駄の傾き方が予測できないし、マシなところを選ぶにも限界があるので、手探りならぬ足探りで歩きます。

やわらかい土、腐葉土、ぬかるみ

雨降りや雨上がりで、日当りの悪い山道の土は要注意です。
力学的にもそうなるはずなんですが*1、歯はまっすぐよりは傾いて沈みやすく、よって勢いよく踏み込めば足首をひねることになります。

落ち葉

落ち葉自体が危険というよりは、他と相乗的に作用して危険を増幅させるという感じ。
石畳や舗装道に積った落ち葉を踏めば滑りやすくなります(斜面だとなおさら)。
また山道が大量の落ち葉で覆い隠されていれば、落ち葉の下に石ころやぬかるみがあっても見えないわけで、「何を踏んでいるか分からずに踏み込む」のは一本歯にとって大変な恐怖で、これこそ慎重に足探りで一歩一歩進むしかありません(が、こんな道が長々と続く場合はじれったくなって「このあたりの道状態の傾向」を頼って歩調を早めたりするんですが、まあ危険が増すのは当然です)。

落とし穴

たぶんモグラだと思うんですが、わりと小さめの(直径数センチ?)穴がやわらかい土に掘られていたりすると、靴ならそんな存在に気付かず踏み進めるところが一本歯だと見事に落とし穴的に作用します。
ちなみにイノシシが掘る穴もよく見かけたんですが、これはクレーター状なので判別はできます。

砂浜

砂浜は海ですが…これはもう論外で、一本歯との相性は最悪です。考えるまでもなく歯が砂に埋まって歩けないので、僕は早々に脱いで裸足で歩きました。
高知の歩き遍路道にはいくつか砂浜があるのです。


これらの危険物がもちろん組み合わせになった道もあるし、上りだといいんですが下りだと危険度は何倍にもなります(もちろん踏み込みに勢いがつくからです)。

こういったことは実際歩けばわかるもので、事前に知れば安心できるかといえば…事の無謀っぷりが強調されているだけかもしれません。

そしてこけ方について書きますが、まず地面を踏み損なって足をひねりそうになったら足を踏み替えて対応します(例えば、左足をひねりそうになったら瞬時に右足に体重を移し替えます)。
それで間に合わなければ(間に合うかどうかの判断は身体任せです)、足をひねらないように、ひねりそうな方向に全身でゆっくりと崩れ落ちるようにこけます。
これが「足が怪我しないようなこけ方」で、確かに足は大丈夫なんですが*2、崩れ落ちる時に足以外の部分が着地することになるので、そこがダメージを受けることはあります。
ただ鼻緒がきついと、このこけ方でも足首へのダメージが大きくなります。
鼻緒が緩いと山道のような凹凸のある道では歩きにくいので、トレードオフの関係ではありますが。



もうひとつ一本歯歩行の記録について書いておきたいことは、今回実際に歩いた道について。
遍路道には「車・歩き共通の遍路道」と「歩き遍路道」があって、前者はだいたいがアスファルトなんですが、行程においてこれらを選べる場合は、僕はなるべく歩き遍路道を歩きました。
それは「自然道の方が楽しく、身体が躍動するし、(荒れていなければ)疲労も少ない」からなんですが、あまりに状態が酷い、あるいは高難度の歩き遍路道は、その場でそう判断した時点でスポーツサンダルに履き替えて歩きました。
この「一本歯で歩けなかった道」は個人的にぜひメモしておきたいのです。
実際に歩いた人でなければ何のこっちゃという情報ではありますが。
 (1)建治寺へ向かう歩き遍路道*3
 (2)24番最御崎寺の観音窟(24番の奥の院)から寺までの道
 (3)81番白峯寺から82番根香寺へ向かう山道の往復共通部分の復路
 (4)82番根香寺から山を下る途中の歩き遍路道
 (5)84番屋島寺から山を下る歩き遍路道
旅の中で「時間をかければ一本歯でも歩けない道はない」という認識を持ちましたが、時間がなかったり余裕がなかったり、終盤では右足首の不調があって無理をしたくなかった、等の事情で、上記箇所では下駄を脱がざるを得ませんでした。
もちろん無理をして怪我をするのはもってのほかなので、「こりゃ無理だ」という判断はわりとすんなりできました。


特に結論も何もありませんが、一本歯についてはこんなところです。

*1:圧力の単位はkgw/m2、同じ重さの物体でも力をかける部分の表面積が小さい方が圧力が大きくなる。歯を真下に踏み込めば表面積は歯の底面積ですが、斜めだと…ごく単純化すれば「角の部分」になる。

*2:とはいえ「軽くひねる」くらいにはなっていたようで、旅の終盤で足首が痛くなったのはこの蓄積が影響していると思われます。メインの原因はいくつか前の記事に書いた「改良版歩行法」のせいですが。

*3:建治寺は12番焼山寺から13番大日寺へ向かう途中で山に上るとある(道中で「別格の別格」と聞きました)。滝行のできる修行場があり、正規の歩き参道は岩だらけ(岩から岩へ飛び移るような道)、12~13の道なりから逸れる遍路道は土砂崩れや植物の繁茂でとうの昔に崩壊していた。