human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

足袋を履いてからんころん

cheechoff.hatenadiary.jp

前回↑のその後ですが、ボンドがほぼ固まったので一度歩いてみると、充填部がほぼ跡形なく(というのはわずかに乾いていなかった白い部分を残して)消失していました。
考えてみればゴムに対して木工用ボンドが接着するはずはないので当然ですね。
乾いた時の固まり具合を串でつついて「完璧だ」と思ったんですが、つるりと滑っていとも簡単に剥がれ落ちてしまったのでしょう。

f:id:cheechoff:20170119232119j:plain
ゴムの隙間に砂or泥が詰まって圧迫され、隙間が広がっています。
放置したくないというかなんとか対処したい有様ではありますが、隙間に入り込むのは歯の着地時で、踏み込んで地を蹴る時は隙間が狭まる方向に反発力がかかるはずなので、両者のバランスの問題にはなりますがそう簡単には面取り部ゴムがとれることはないと希望的観測をもっています。

このままでしばらく歩き続けてみます。

 × × ×

14-16日くらいに京都南部では雪が降り、15日は今冬でいちばん積ったんですが、14,15ともいつも通り夕方に一本歯で高野川を歩き(もちろん裸足で)、歩き始めの足の冷たさは尋常じゃなく凍傷にでもなるかとおののきましたが、冷静に考えれば手袋なしで露出している手と同程度なわけで、歩くうちに足指の感覚が復活してきて(この点では手指をどれだけ擦ってもこれほどは暖まりません)、「冬でも素足の下駄で寒くないなあ」などと歩いている間は思っていたんですが、行程の後半で積った雪の上をざくざく鳴らして歩いている時*1に足が濡れてしまったせいか、いやそれ以前の問題かもですが、帰ってすぐ風呂に入ってぬくぬくしたんですが風邪をひきました。

風邪を引いたはずですが体温が多少上がってぼーっとするだけなので特に休養をとるほどでもなく、ナイトウォークも続けていますが(雪中を歩いた翌日も雪だったのでさすがにその日は休みました)、風邪のおかげか「足をあまり冷やしたくない」という発想にようやく至り、前に買って少し試し履きをしただけで放置していた足袋を履いてみることにしました。

f:id:cheechoff:20170119234305j:plain
写真を撮るほどでもありませんが、脚絆+足袋を装着した絵。
こういうことになるなら脚絆も白にしておけばすっきりしたのですが、日常履きとしては藍の方が合います(最初に洗濯するまで触るごとに手が真っ青になりましたが)。


足袋+一本歯で歩いた感触ですが、まず裸足に比べて指のグリップ力が断然落ちて歩くごとに足がズレてしまう(一本歯の台と足裏の位置関係がズレる)ことに戸惑いました。
地面を蹴って足を前に振り出す時に、下駄の重みと遠心力によって下駄が脱げる方向にズレてしまうのだと思います。
指で踏ん張ってもこのズレが防げず、ちょっと歩くごとに鼻緒に指を入れ直すというのをやるんですがこれではもちろんスムーズに歩けません。

どうしたものかと歩きながら考えていると、自然と対処法を思いつきました。

歯で地を踏み込んでから、蹴るまでの溜めを長くすると(台がどんどん前方に傾くので)台の前端が地面に当たります。
この当たること自体は地面を蹴る力に加わらないエネルギの純ロスになるので、一歩の歩幅を大きくしようと思うなら前端が地面に当たるギリギリで地面を蹴り出すのが通常はよいということになりますが、足袋履きの今日歩いていて気付いたのは、台の前端を敢えて地面に当てることで(脱げる方向にズレた)足の位置を元に戻すことができるのです。
つまりは一歩ごとに台に対して足が前へ後ろへと位置を変えることになるわけで、これはなかなか難しい。
裸足+一本歯の歩き方とは別物と考えてもよいくらいの違いがあります。

そしてふつうに歩けば一歩ごとに歯底が当たるだけの「カン、カン」という音がしますが、前端を当てて歩けば「カラン、コロン」と鳴ります。一般的な下駄の音もこのように聞こえますが、この一本歯では「カラン」の「カ」が左の下駄前端の音だとすれば「ラン」は右の歯底になります。
リズムと強弱の付け甲斐が増えて、コンクリートアスファルトを歩く面白みがあります

とはいえ、当然ですが裸足よりもずっと寒くなくて(体調が悪化することなく、逆にナイトウォークの後のプール&サウナで回復したかと思ったくらいでした)、冬の間とくに寒い日はこちらが主流になっていくかもしれません(体調が万全で好天なら氷点下に近い気温でも裸足で平気なんですが)。
そして、バリエーションとして旅の道中でも時々足袋で歩くといったことをしてもいいかもしれないと思いました。

足袋を履いた時の(防寒以外の)効果を今後見定めていきます。

*1:ところで雪の上を一本歯で歩くというのはどこか橇(かんじき)に似ているなと思い、あえて言えば「介在する履物の存在感」としてかなと思うんですが、靴に対して接地面積を増やす本来の橇とは思想が逆なわけでとても同列に考えられるはずもないんですが、例えば本来の橇を「S-橇」とすれば一本歯は「M-橇」とでも言えるのではないかと愚考した次第です。ちなみにサイズではありません。