human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

二ノ瀬〜雲ヶ畑

昨日はへとへとだったので帰って風呂をはって浸かり、夕食を作って食べると体力気力共に底をついたので寝ました。
帰ってきたのが8時半で、道中も帰って風呂に入る間もそれほどお腹は減っていなかったんですが、夕食を食べているうちに空腹を自覚してきたようで、(豚すき焼きだったんですが)締めの蕎麦(うどんが手元になかったので)のあとにご飯を入れてその日中にタレを余さず頂きました。
道中よほど身体を緊張させていたようです。
後述するようにそれも当然なのですが…

この日の行程のハイライトを一言でいえば「史上最大の後退戦」です*1
後退戦という言葉に僕は特別の印象を持っていて、元は戦争で前線の戦況が悪化して被害を最小限に抑えながら敗走するという意味ですが、それが転じて、物的な経済成長の限界にあり少子高齢化の最先進国である日本社会を(今後何世代という長いスパンで)どう落ち着かせていくか、という文脈で使われるのを内田樹氏の文章で(平川克美氏の著書の引用だったかな)初めて読んだ時に、自分の生活思想とこの言葉に高い親和性を感じました。

昨日の行程においてはまた違う意味で、「自分の意思で行動した分は自分の身体で後始末をつける」といった感じになるのですが、歩くことが自分の身体との対話である以上、そして脳を身体と密接に関わらせるという意志がある以上は、非常時を除けば当然のことです。

その意味では、昨日の行程はこれまでの京都歩きでは得られなかったものが得られた気がします。


…分かりにくい書き方をしてますが、即物的にいえば単に「足が棒になるまで歩いた」ということです。
前に金閣寺に行った時のように車道メインの行程だったんですが、街中のようにいざとなれば交通機関を頼れたり店で休めたりできない点が違っていて、これに加えて(山の車道に限りませんが)車道は「距離に関して手加減がない」ことを身に染みました。
本当に当たり前なことですが。

昨日の道中、「後退戦」のまっただ中では歩き旅に対する恐れが今までにない形で自分の中に芽生えるのを感じましたが、これはつまりは一日に歩ける距離は身体の限界があるのだから長期で歩くならしっかり予定を立てるべきだ、と頭が(身体の悲鳴を聞くことで)真剣に理解したということです。
一日歩き回る時に「最初から地図を見たら面白くない」と思うのは勝手だが、旅で同じことをしたらどうなるか。
これも当たり前ですね。

…短期の歩き旅を何度かやっておいた方がいいかもしれません。
熊野古道とか大分の耶馬渓*2とか、行ってみたいところがいくつかあるので。

f:id:cheechoff:20161215134405j:plain
これは今日出会った仏さんです。
上の文脈とつなげれば「メメント・モリ」でしょうか。
詳細は後述。

 × × ×

f:id:cheechoff:20161215134941j:plain
今日は二ノ瀬から夜泣峠を越えて大岩に出て、雲ヶ畑へ行くことを考えていました。
大岩に出てからはずっと車道ですが、まあそういう日があってもいい。
前日にそれとなく地図を見ていたので、ぐるっと回って帰って来れれば、くらいに思っていました。

写真は叡山二ノ瀬駅で下りて、最初の橋を渡るところ。

f:id:cheechoff:20161215134955j:plain
鞍馬へも行けるのか…と考えながら通り過ぎる。

線路を渡って山道を歩き始めると序盤に池を通り過ぎた先に流れをまたぐ小さな橋があります。
ここで前に二ノ瀬〜貴船を歩いた時に撮った写真を載せます。
f:id:cheechoff:20161215141549j:plain
一月以上前の写真ですが、今とあまり変わりませんね…紅葉を終えると山は時を止めるかのよう。
それはさておき、前回この橋を越える時に、橋を渡る直前右側に傾斜のきつくて幅の狭い道が見えて「いいなあ…」とそそられてこの写真をとったのでした。
今回同じ地点に達した時に、また「同じ道をなるべく歩かない」という生来の癖*3でこの狭い道を上り始めました。

f:id:cheechoff:20161215135006j:plain
水が流れるそばを少し上るとすぐに道らしきものがなくなり、そして流れは強くはなく岩がごろごろしている。
というわけで成り行きの沢登りになりました。

f:id:cheechoff:20161215135015j:plain
よいしょ、よいしょと岩を伝って登る。
さすがに手を使わないと登れませんが、手はいつでも洗えるのがうれしい。

f:id:cheechoff:20161215135037j:plain
f:id:cheechoff:20161215135044j:plain
f:id:cheechoff:20161215135051j:plain
途中にいたきのこ。赤い。

f:id:cheechoff:20161215135058j:plain
まだまだ登ります。天然アスレチック。

f:id:cheechoff:20161215135108j:plain
ひときわ大きな岩を登ったところで来た道を見下ろす。
岩に手をかけたところで目に入って一瞬ぎょっとなったんですが、流れに留まって漱がれている白い物体が写真下端にいます。
もちろん端っこに写るように撮ったんですが…

f:id:cheechoff:20161215135117j:plain
そのままの状態で近くから。
この独特の白さはもう、一目見ただけでわかりますね。
最近読んだポーの短編で、望遠鏡で遠くから大木の枝の先に置かれた髑髏を見つける場面でこの白さの描写があったはずですが…せっかくなので探して引用してみます。

「あるいはそうかもしれん。だが僕は、常識ということが、詩的調和ということとまったく同じくらい、このことに関係があると考えずにはいられないんだ。(…)その物は、もし小さい物なら、どうしても白くなくちゃならん。ところで、どんな天候にさらされても、その白さを保ち、さらにその白さを増しもするものとしては、人間の頭蓋骨にかなうものはないからな」

「黄金虫」p.186(E・A・ポー『黒猫・黄金虫』新潮文庫
下線は文中傍点部

もちろんこれは人骨ではありませんでした。
上の状態から取り出して、洗って静置しました。

f:id:cheechoff:20161215135124j:plain
f:id:cheechoff:20161215135147j:plain
下顎はありませんが、頭部が綺麗に残っています。
何の動物か想像がつきませんが、そのあたりにいそうな動物として鹿かな、とその時は考えました。

不意に目に入った時は驚いたんですが、ものが分かるとそれほど抵抗なく触れることができました。
たぶん街中で同じものを見かけたら目を背けて近づかないようにしただろうと思うんですが、それはこの頭蓋骨が見せる恐怖が「頭の方」だからですね。
…って、頭蓋骨の頭ではなく、身体に対する頭つまり脳の方という意味ですが、畢竟恐ろしいのは頭蓋骨そのものではなく「頭蓋骨が連想させるもの」であるということ。
街中にこんなものがあればまず間違いなく不穏な事態を想定しますが(人骨ならなおさらです。なぜこんなものが放置され続けているのか?この街の治安は大丈夫か?的な)、山の中のしかも人がほとんど通らない所で見かければ、冷静な頭なら「なるほど」と思うわけです(これは人の通らなさを裏付けているなあ、とか)。
…とはいえこれが人骨だったなら今の自分の状況と照らし合わせて恐慌を来したかもしれませんが。

石を積み上げて供養しようかと少し思ったんですが、そんなことより現状を思い出して、というのは沢登り行程が一段落していたのは行く手に滝(というか「滝になるほどの高低差」)があったからでさてどうしたものかという現状認識をほっぽり出して骨を観察していて、その時上の方で人の声が聞こえて、見上げると登山者のグループが通りかかったのでした。

f:id:cheechoff:20161215135240j:plain
僥倖、と思って咄嗟に撮った写真。
中央に人が写っています、小さいですが。

f:id:cheechoff:20161215135304j:plain
行く手にある滝。
さすがにこれは登れません。

ところで、すぐ下に書いてますがこの滝は上側の山道から下りるのは困難でたぶん沢登りしないとたどり着けないんですが、そういう難所なので名前がついてないのではと今思ったので、ここで勝手に命名しておきます。
偶然出会った仏さんにちなんで「髑髏瀧」でどうでしょう。

いや、いい名前だと思いますよ、「ユウレイ峠」だってあるし。

f:id:cheechoff:20161215135321j:plain
登山者のグループを見かけた時に、その方角になんともおあつらえむきの(正規の山道に戻れそうな)道を見つけました。
骨と滝を後にしてさっそくこの道を進んだんですが、お約束というかご多分に漏れずというか(つい2日前に同じ経験を何度もしました)、道がどんどん先細って斜めになっていき、しまいには単なる斜面になるという有様で、しかも広葉樹の落ち葉が滑って下さいと言わんばかりに隙間なく敷き詰められている始末。

思い出すと頭に来たので、絵を描いてみました。
(こういうのを「昇華」と言うのです。たぶん)
f:id:cheechoff:20161215163540j:plain
先細っていく斜面の道の断面図を時間経過に沿って3つ描きました。
断面図なので、赤い人は紙面方向に進んでいるわけです。
まあ3つ目になるまで無茶はふつうしませんが、何も考えずに「道だから」と進んでいくとほんとうに絵のようになりかねません。
この時は2つ目と3つ目の間くらいの状態でこの道に見切りをつけ、さっき人が通った山道がすぐ上にあると知っていたので(人が通らなかったらどうしていたでしょうね…ぶるぶる)、生えている木と倒木を足がかりにして斜面を登りました。
落ち葉に加えて前日の雨で土がもろもろになっていて、一度足をかけた土が崩れて斜面にしがみつく場面もありひやっとしましたが、無事に山道に合流することができました。

f:id:cheechoff:20161215135334j:plain
合流した地点は少し登ると立て札があるところでした。

f:id:cheechoff:20161215135351j:plain
あとは前も通った正規の山道を上るのみ。

f:id:cheechoff:20161215135400j:plain
夜泣峠の分岐点に着きます。
今日は大岩へ抜けます。

f:id:cheechoff:20161215135411j:plain
ふむふむ。

f:id:cheechoff:20161215135421j:plain
下ります。

f:id:cheechoff:20161215135437j:plain
日を浴びる苔。
光ってました。

f:id:cheechoff:20161215135447j:plain
苔の絨毯。
もふもふ。

f:id:cheechoff:20161215135457j:plain
f:id:cheechoff:20161215135507j:plain
そして大岩へ。
ここからはずっと車道です。
もう今日の山場は越えた気分でした。

f:id:cheechoff:20161215135518j:plain
鴨川の上流に沿ってどんどん歩く。
これは車道から見える景色です(右下に少しだけガードレールを入れました)。

f:id:cheechoff:20161215135528j:plain
f:id:cheechoff:20161215135538j:plain
途中で山道入口を見つけ、奥の方にある立て札を見ると「判官坂」とあります。
なるほど、ここを行けば前に見つけた分岐にたどり着けるわけですね。

f:id:cheechoff:20161215135549j:plain
f:id:cheechoff:20161215135603j:plain
民家が並ぶ地帯にたどり着きました。
北大路〜雲ヶ畑間を一日二便走る小型バス「もくもく号」のバス停「市ノ瀬」付近。

f:id:cheechoff:20161215170001j:plain
さらに歩くとちょっとにぎやかな所に。
視界に入る情報量が一気に増えたのでそう感じました。
バス停「出合橋」付近。

f:id:cheechoff:20161215135614j:plain
f:id:cheechoff:20161215135625j:plain
左へ行けば村の中心部へ、右は林業センターなるものがあるそう。
この時にはもうけっこういい時間で「どう帰るか」がまず念頭にあり、じっくりと考える。
今は中心部を見に行けばよかったとつくづく思うんですが…

f:id:cheechoff:20161215135639j:plain
広域図の端へと目が吸い寄せられる。
なにを見てんだという感じですが、この右上の隠れたところが非常に気になったわけですね。

 府内広域図に隠れた道は、貴船神社に至る道(府道361号)に通じているのではないか?

うん、いやそうだ間違いない、それなら貴船口まで歩いて叡山電車で帰れる…と確信的に楽観視して、今いる出合橋の分岐を右に進むことにしました。
行き止まりなら引き返せばいいや、車道だし暗くなっても平気だし、ともちろん予想が外れた時の事態も想定はしていたのですが…

f:id:cheechoff:20161215135653j:plain
林業総合センター。
冬期休業とのこと。
林業を営む方々の憩の場なのでしょう。

f:id:cheechoff:20161215135704j:plain
すかっとした気持ちのよい道。

f:id:cheechoff:20161215135718j:plain
ふむふむ。

f:id:cheechoff:20161215135728j:plain
f:id:cheechoff:20161215135740j:plain
善明寺端にいた苔たち。
勢いがあります。

f:id:cheechoff:20161215135755j:plain
アグレッシブ間伐。

神去なあなあ日常』(三浦しをん)を前に読んだことがあるので、ひたすら林を抜ける道を進む間もいろいろと想像しながら歩いていました。

f:id:cheechoff:20161215135813j:plain
f:id:cheechoff:20161215135824j:plain
進んで行くと分岐があり、左へは魚谷峠(徒歩)という表示。
山道はふだんは大歓迎ですが、この時はこの状況(もう日が暮れる)にしてこの方針(車道で貴船へ抜ける)で、そして当然思い至るのはこの峠を進んで果たしてどこに通じるのか全く不明なので、特に迷うことなく引き続き車道の右を進む。

f:id:cheechoff:20161215135838j:plain
と、アスファルトが途切れて砂利道に変わる。
…若干不安。

f:id:cheechoff:20161215135854j:plain
振り返ると日暮れ。
が、まだいけると行程続行。

f:id:cheechoff:20161215135909j:plain
f:id:cheechoff:20161215135924j:plain
砂利道というか小石のばらつく地肌の道を進んでいるとまた山道の入口が。
枝に巻き付けられたラミネート紙には「樋ノ水谷を経て樋ノ水峠へ」とあります。
なるほどなるほど。ここを進めば前に歩いた、貴船山手前の樋ノ水峠に至るわけね。
…かなり不安。

というのも、この峠に至る山道に対して今歩いている車道(でなくなりかけている道)の方角が90°違っていて、要はこの先で車道がぐーっと右に曲がってくれないとどんどん目的の合流地点から離れていくからです。
この辺りでもうほとんどさっき立てた行程は諦め、どこで引き返すかの機を窺っていたように思います。

f:id:cheechoff:20161215135941j:plain
小屋を見つける。
「麗杉荘」という看板があったように思います。
もうだいぶ暗い。

f:id:cheechoff:20161215135955j:plain
大岩から車道を上る間にぱらぱら降っていた霧雨は小屋に至る前か後かにみぞれっぽい雪に変わっていて、これも不安材料の一つだったんですが(寒いからという以上に、どんどん北へ向かっている証拠のように思えたからです。行きたいのは東)、(1)日がとっぷり暮れ、(2)雪は勢いを増し、(3)写真にあるように「柳谷峠」なる峠に至る山道の入口を見つけ、(4)ふうんと思って車道を進もうとした先がぐしょぐしょになっているのを見て、という踏ん切り材料が4つ並んでようやく「ここまでやな」と元来た道を引き返す決心をしました。

つまりここからが「後退戦」で、車道だから暗くても大丈夫と舐め切っていた道はとうに山道のごとくになっていて(小石がばらつきぬかるみもある)、雪の降り続く中を極小LEDライトで地面をサーチライトの如く時折「投げ照らす」ようにして無心で歩きました。
上賀茂の街まで下りてきてから満月だったと気付いたんですが、雲が薄かったようで雪の降る山道も真っ暗ではなく、ライトなしで歩いていて水たまりが月の光を受けて目に判別できるほどではありました。
なので行く先をずっと照らし続けるよりは(といってそれができるほどの光量をLEDは持っていないのですが。何せキーホルダ大ですから)怪しげなものを感じた時にだけ前方にさっと光を走らせる、という歩き方をしました。

ところで今日これを書く前にgooglemapで調べてみたんですが、やはりこの道は府道には繫がっておらず行き止まりとなっていました。(しくしく)
また「柳谷峠」で調べてみると、京都の峠について詳しく載っているHPに興味深い記述がありました。
以下はそのHPの「柳谷峠」の項目からの抜粋です。

■地図:http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=350853&l=1354433

峠から西に進めばほどなくして魚谷山へ。地形図に表示はないが、峠から東に延びる京北町との境界尾根を行くと芹生峠に到達する(未踏)。

リンク先の地図を見ると(あの、登山部が使うような地形図です。僕は高校時代に見て以来な気がしますが、分かる人ならこの図を見て「尾根の道」が見えるのでしょうか)、芹生峠がまさに僕が行こうとしていた府道361号だったことがわかります。
つまり、柳谷峠に入って進めば実際に府道にたどり着けたのですね。

f:id:cheechoff:20161215140021j:plain
元来た道を戻って出合橋を過ぎ大岩を過ぎ、柊野へ至る少し手前のクリーンセンターへ至る道のある分岐まで来ました。
気温表示を見ると3℃!
ここで3℃なら雲ヶ畑は何度だったんだろう…歩いている間は腕が多少冷えましたが胴体は寒くはなかったです。
立ち止まっていたらどうだったか知りませんが…それが怖かったので引き返した地点からここまでは途中屈伸する以外はノンストップでした。

引き返した時は日の暮れ方からして17時前で、最初に書きましたが帰宅は20時半なので、「後退戦」では3時間以上ぶっ続けで歩きました。
山道とどちらが楽かといえばどっちもどっちですが、山道の方が足にかかる負荷が(大小ではなく)柔らかいのと、立ち止まって考える時間があったり足場にバラエティがあるので局所に連続的な負荷がかかりにくいという点を重視すれば僕は山道の方が楽ですね…ということを今回の行程でひしひしと感じました。

途中で立ち止まれない制約と大事を起こさないようにという緊張感の中でよくやったとは思いますが、足の方は(帰宅時は)もう「全部使い切った」という感じで、「後退戦」の途中で足首が痛い、膝関節が痛い、太腿が痛い*4、と普段の徒歩中に痛むところが全部痛んだ時に「次はどこを使おうか」と思って「太腿の背中側」とか「臀部」とか色々試して*5の総力戦の結果ですね。

それで普段痛まないよくわからない足の部位も痛みがあったんですが、帰宅後に1時間ほどじっくり風呂に浸かっていると自炊できるほどには元気になったのでした(もっとも外食より自炊の方が楽だと思いますが)。
今これを書いている翌日はそこそこぼろぼろ(なんだそりゃ)なので静養していますが、夜のプールは行くつもりです。

話を昨日に戻しまして、街に下りてきてからは街灯りを見るだけで嬉しくなり、ついつい余計な写真を撮ってしまいました。
街の有り難さが本当に身に染みました。
今日の経験は普段の生活というか、生活思想(価値観)に影響を与えるかもしれません。

f:id:cheechoff:20161215140030j:plain
街コン。(違うか)
志久呂橋のそば、だったかな?

f:id:cheechoff:20161215140038j:plain
週1くらいでご飯を食べにくるMKボウル上賀茂。
いっそのことボウリングしてやろうか、と思いました(学生の頃で、一人でなかったら同じ疲労困憊の状況でもやっていたかもしれません。あの頃は体力とは「別腹」でテンションで動けたものです)。

長くなってしまいました。
歩く間に考えなかった分、いろいろ思うところがあった(ある)ようです。

*1:何の歴史かといえば僕自身の徒歩史ですかね。

*2:耶馬渓は最近山頭火の日記を読んで知りました。深耶馬渓(昔は「新耶馬渓」だったそうです)の紅葉がすごいのだとか。

*3:たぶん小学校の時に身についたのだと思います。「同じ道ばっかり歩くとボケるよ」と祖母に教えられ(小学生に聞かせる話ではないですね)て真に受け、通学は集団登校でしたが下校時はいろんな道を通って帰宅したのを覚えています。家も学校も大阪と京都の府境にあったからか、はたまた山の方の住宅街だったからか、小学生が下校でバリエーションを楽しむには十分な選択肢がありました。

*4:これらの痛みに加えて、あと「右足の魚の目跡が痛い」もあったんですが、もうこれはぶり返してますね。翌日の今日も押し込むと痛いし…また静養しなきゃですね。『白衣の女』(ウィルキー・コリンズ)が今週はご無沙汰だったので、これを機にずんずん読み進めることにしましょう。

*5:「そこを意識して歩く」というだけで他の部分の痛みに差があるのです、実際に。もちろん意識だけでなく身体の動かし方も変えるのですが。