human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

慣性の第十三歩(「下駄に預ける」)、足指の成長記録

今日は朝食が遅かったので、夕方にラナー*1バイキング食堂で食べた後、加茂川を一本歯で下りました。
前回と同じ道のりです。

足裏は治療中なんですが、右足親指の付け根の魚の目は一本歯を履く時には支障はなくて、あと実は靴をストックしていた新品(何年か前に実家近くで買ったもので、今履いている靴を履き潰してから使おうと思っていたもの)に換えてみると魚の目がそれほど痛くなかったので、今でも歩けるといえば歩けます。
一日中歩くのはきつい気がするんですが、今日みたいな一本歯メインの行程なら平気です。

 × × ×

さて、前回と同じく今日も満腹状態でスタートでした。
胴体を上下に揺らさないように、あと足に局所的に力がかからないように歩くことを意識します。

いくつか気付きがあって、まず一つ目は、これはまだよく分からないんですが感覚的なことで、第八歩で「上を向いて歩こう」と書いたのはやはり間違っていなくて、ただその角度が「仰角45°」だとちょうどよい、その角度だと「全身を使って歩ける」ような気がします。
なんとなく、一本歯歩行に適した全身の「しなり方」がつかめてきたかもしれません。


二つ目はちょっと面白いというかきっと「極意」です。

長嶋茂雄にとって素振りは絶対的なもので、阪神の掛布がスランプに陥ったとき長嶋が掛布に電話をかけてきて、
「掛布君、そこで素振りしてみて。」と言ったのは、もうほとんど伝説化している話で、私も実際掛布がそれをしゃべるのをテレビで見た(と思ってるだけで本当は見てないかもしれないけど)。
長嶋に言われたとおり掛布が受話器を置いて受話器のそばで素振りすると、何回目かの音を聞いて長嶋が、
「今のスウィングだ。」と言った。
これはもう本当でも作り話でもどっちでもよくて、長嶋と素振りを結びつける重要な話だ。選手はバットを振りながら一回一回、バットと対話し、自分の体と対話する。これもまた比喩じゃない。松井は長嶋とそうやって二人きりで、一回一回、ブンッ! ブンッ! とバットを振ることで対話した。
(…)
素振りは単調な反復練習ではない。バットとの対話、体との対話だ
試行錯誤に漂う 11保坂和志氏がHPに載せているエッセイ)

この「試行錯誤に漂う」のエッセイを今日の朝食時に読んでいたんですが、一本歯で加茂川を下っていてふとこの抜粋部の話を思い出し、一本歯で歩く一歩一歩も自分の体との対話であり、「下駄との対話」なのだと気づきました。
そう思ったそばから足の動きが緻密になった(肌理が細かくなった)気がして、その勢いというか何か連想がはたらいて、たぶん「こういうことをしているのはどんな人だろう?」みたいなことを考えたのではないかと思うんですが、『バガボンド』(井上雄彦)の沢庵和尚が頭に浮かびました。
「あ、いいなあ」と心の中でにやにやして、さらに体が軽くなったような気がして、すると天啓のように閃きが訪れた、その閃きの内容を一言で表したのが本記事タイトルの「下駄に預ける」です。


居合や杖道*2で刀を振る時に、手や腕に力を込めて振るのではなく「刀の動きを邪魔しないように全身を動かす」という術理を内田樹氏や甲野善紀氏の文章で知りました。
バガボンド』でもこれと似た意味の描写があったような気がします*3

この話は得物全般に言えるはずで、いや下駄は武器ではないですがそれはさておき、一本歯下駄にだって刀と同様に「下駄にとっての理想的な動き」があってもおかしくはなく、その下駄の理想的な動きを乱さないように歩くことが「理想的な一本歯歩行の形」であってもおかしくはない
つまり、歩行の主導権を下駄に明け渡すこと、これを「下駄に預ける」と呼ぶのです*4


ということは今考えたんですが、歩いている間にはこの「下駄に預ける」の実際的かつ簡略的な表現として、「下駄の慣性に従う」ということを考えていました。

ふつうに歩く場合に「なぜ前に進むのか」というと、足を前に出すからではなく(小学生ならこう答えそうですね)、体が前に傾くからで、体が前に傾くと(倒れたくないので)自然と足が前に出る、この一連の流れは「最初の一撃」(=体を前傾させる)以外は慣性に従うことで実現されています。
一本歯ではこの基本的な流れに一つ付け加えることがある、あるいは「最初の一撃」に工夫の余地がある。

…あんまり引っ張るのもアレなんで本題書きますが、歩行のスタートである前傾を、一本歯を前に傾けることでそのきっかけとすることができるのです。
つまり軸足を前に踏み込むことが、全身の前傾動作を引き出す
これ、当たり前のように思えて(しかし一本歯の「当たり前」って何だろう?)とても大事なことで、これを意識する、これが(一単位の)一本歯歩行のスタートであると認識するだけで動きが断然変わってきます。
整理すればこんな感じ。

 ・通常の歩行:全身前傾→足の振り出し→…
 ・一本歯歩行:軸足の踏み込み→全身前傾→足の振り出し→…

今日書いた内容を自然にこなせれば(と言っても多少抽象的な話なので意識しながら慣れていくしかないのですが)、一本歯歩行の持久力がぐんと増す(より通常歩行に近づく)と思います。

 × × ×

そうだ、あと今日のコースを前回歩いた時は両足の親指にタコ(の「なりかけ」)ができて痛い思いをしたんですが、今日はそのタコの名残り(皮剥けとか、皮が硬くなってるとか)が残っていたにもかかわらず平気でした。
鼻緒を締めた効果もあるでしょうが、これは限界があって(きつすぎると足が圧迫されて指に血が通わなくなるから)、その限界とは別にやっぱり歩きながら緩んできたのは今回も一緒で、でも大事なのは「足指の踏ん張り」だと気づきました。
これも靴歩きと全然違うところですね(靴を履いてる時は指に力を入れなくても歩ける)。
今回は行程の最後まで足指をちゃんと踏ん張っていたので、あまり指と台がこすれなかったようです。

というわけで足指も鍛えないといけないんですが、これと関連する話で、京都で下駄歩きを始めた頃に足指に関心が向いて、家で靴下を脱ぎ履きする時に足指をひょこひょこ動かすことを続けているんですが、たしか最初の1週間くらいで左足の親指が親指だけ動かせるようになり、その後も着々と動きに成長が見られ*5、たしか先週のどこかの段階では左足の指を全部開ける(じゃんけんでいう「パー」の状態)ようになりました(下の写真)。
f:id:cheechoff:20161125001703j:plain
そしてつい昨日のことですが、右足もパーができるようになりました。
まだ親指以外は個々の指はそれだけでは動かせません。
今後の成長も楽しみです。

*1:ブランチ的な、昼食兼夕食。lunch+dinner=lunnerということでラナー。今期2回目で今後も頻度高そうなので命名しました。

*2:杖道(じょうどう)がどんなものかはよく知りませんが、内田樹氏のブログには時々真剣も使う型稽古として書かれていたと思います。

*3:「相手を斬ろうとするのではなく、刀の赴くままに振った先に(たまたま)相手がいるのが理想だ」といった感じの。あれ、ちょっと違う話かな?そんで『バガボンド』ではなく「五輪書」かもしれません。

*4:お気づきかと思いますが、「下駄を預ける」をもじっています。この「下駄を預ける」という言葉、最近読了した『寓話』(小島信夫)にも出てきたんですよね…とても無関係とは思えません。ふふふ。

*5:この成長については、なんだか赤ん坊のようだなと思っています。ハイハイを始めそうでへたっとなったり、歩き始めそうで立ち上がれなかったり、といった状景と同じものを自分の足指に感じたんですが、自分の足指はもちろん自分の身体の一部であって、うまく言えませんが何か神秘的なものを感じました。だって、まだ自由に動かせるほどではないんですけどだからこそなんですが、「念じれば動く」んですよ。意識として立ち上がる前の無意識に触れている、と言えるかもしれません。