human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

連想における雪国の生活と遠洋漁業/『機械の花嫁』

走り書き。


昼食は定食屋「鉄亭」にて、おでんとカキフライ(+50円)。
先週は店に着いたのがL.O.(15時)を過ぎたために入れず、ラーメン屋に行って体調を崩したのでした。
もう舌は完治。同時に発した気のする唇の荒れ(上下の境目付近のできもの。口を大きく開けると痛い)も痛くないほどに緩解
定食屋は14時前後に行って他の客があまりいないところでゆっくり食べるのがよい。

そのあとVeloceへ。
混雑していて細々した席に座る。
ここ何週間か吹抜けの2階席だっただけに窮屈さをより感じる。
別の店にしようかと思案もした(帰りがけに見つけた河原町今出川近くの「タナカコーヒー」がいいかも)。
が、窮屈さもすぐに慣れる。
『人生を感じる時間』(保坂和志)を読み終えてからは、『寓話』(小島信夫)の縁から短編集『黒猫・黄金虫』(E・A・ポー)を読んでいる。
今日はその中の短編「メイルシュトロムの渦巻」(「渦巻」じゃない気がする)を読んだ。
そういえばこの短編に由来する「メイルシュトロムの水夫」について何度も引用された本があったはず(と思って帰宅後に『境界領域への旅』(新原道信)をざっと見たが見つけられなかった。見つけられなかったからかどうかはさておき、再読しようと思う)。
店が騒がしかったからか店内にかかる音楽とは別に脳内BGMを流しながら読めた。
(この短編集全体が優雅な曲を聴きながら読む雰囲気ではない)
前にMKボウル上賀茂の食堂で「アッシャー家の崩壊」と「ウィリアム・ウィルスン」を読む間にkvoid氏の曲が合うと思って、そう思った次の日に氏の曲を集中的に聞き直したのだったが、今日店で頭の中に浮かんだ(流れた)のは「リカージョンワールド・マトリョーシカ」↓。
この曲は前にも使ったことがあって、それは『地下生活者 遠灘鮫腹海岸』(椎名誠)。今日曲が流れた時にこの小説のことが思い浮かんだが、両者に通じるところがあるのか(実際あると思う)、うまく同居した。

www.nicovideo.jp

 × × ×

今日歩いていて、ふと「雪国に住んでみたい」と思って(きっかけは不明)、具体的には小樽を思い浮かべて(素敵な街だと話に聞きながら自転車旅行で行った時は夜にちょっと寄っただけですぐフェリーに乗ってしまい、街を見る暇がなかったことをずっと悔やんでいた、という以外に具体的な理由はない)、恐らく(少なくとも街中は)観光地的で生活者の空気が希薄な街の様相とは別に「自分は苦労がしたいのかな」と思って(村上春樹の小説やエッセイでよく出てくる「雪かき仕事」という言葉が好きで、それは内田樹氏の評論に端を発するのだけど、「単に好きなだけじゃなくて実地でやってみたい」と空想にしろ何度か思ったことがある)、それはもっと言えば人為でなく自然がなす苦労ということなのだけど、それから連想したのが『三月のライオン』(羽海野チカ)に登場する島田八段で、4巻だったか彼が昔を回想する場面を読んで思わず涙したのだけど、その場面を歩きながら思い浮かべて読んだ時ほどではないにせよ目に涙が浮かんだ。

Veloceで短編を1つ読んだ時にその「雪国の苦労」(「雪かき仕事」と同じような意味だが、もっと広い)が短編の内容と合わさって、「遠洋漁業」に変化した。昔はよく「マグロ漁船に乗るか」みたいなことを言ったそうだが(どういうシチュエーションかは不明。金のあてがなく帰るところのない人がさして抵抗なく長期で漁船に乗り込む、のだったか)、そのマグロ漁船に関する想像の素材は僕にとっては『晴子情歌』(高村薫)で、Veloceからの帰りは福澤彰之の漁船の中での生活を思い浮かべていた。頭の中では上記のkvoid氏の曲がずっと流れていた。

 × × ×

これは実行されるか不明の思い付きなのだけど、北海道の冬期のツアー旅行(観光地巡りでないようなツアー。雪国の生活を知る目的で各地を回る。そんなのあるのか?)に行ってみたいと思いました。
あるいは短期でどこかに暮らしてみてもいいかもしれません。

これは自分がしたいことというよりは「そういう環境におかれてみたい」というもので、自分は気質的に常夏とか温暖気候よりはそちらに合っているかも知れない、とこれも今日ふと思ったからです。
(健康的な意味で)身体が適応するのは大変でしょうが、これは(常識的にはこれを重視して住む場所(というより「住まない場所」)を決めますが)大した問題ではありません。

 × × ×

走り書き、と最初に書いたのは、これからナイトウォークに行こうと思って書き始めたからです。
歩くとまた別のことを色々考えるだろうから。

ではちょっくら歩いてきます。

 × × ×

黒猫・黄金虫 (新潮文庫)

黒猫・黄金虫 (新潮文庫)

境界領域への旅―岬からの社会学的探求

境界領域への旅―岬からの社会学的探求

この人が島田八段です。渋くて後退*1
晴子情歌〈上〉 (新潮文庫)

晴子情歌〈上〉 (新潮文庫)

今日思い返しているうちに、この小説も再読したくなりました。

 × × ×

p.s.
高野川ナイトウォークの間に思い出しました。
上に書いた「メイルシュトロムの水夫」が何度も出てくるのは『機械の花嫁』(M・マクルーハン)でした。

 このような方針に従って本書を書いている間に、エドガー・ポーの『大渦巻』のことが幾度となく心に浮かんだ。ポーのこの作品に出てくる水夫は大渦巻の動きをよく観察し、敢えてそれに逆らう愚を犯すことなく遂には脱出に成功している。同じように本書においても、新聞、雑誌、ラジオ、映画、広告などの機械的勢力の手で今のわれわれの周囲に巡らされている流れと圧力に対して、正面切って攻撃を仕掛けることは控えている。それらが重なり合って一大絵巻を繰り広げているその真只中に読者を据えて、すべての人間を巻き込んで今進行しつつある事態を見極めてもらうことが本書の狙いである。
(…)
 大渦巻の壁に四面を閉ざされ、その流れに漂ようさまざまな物を目にしたとき、ポーの水夫はこのように言っている。

 私は錯乱状態だったのだとしか考えられない。なにしろ、いろいろな物が渦の泡立つ底にまで落ちていくとき、それぞれ測度が違っているのに気がついて面白がっていたくらいなのだから。

 自分自身の置かれた境遇を第三者の立場に立って理性的に観察することによって、面白いと思うほどのゆとりが生まれ、それがこの水夫に迷宮脱出の糸口を与えてくれたのである

序文 p.1-2 (下線は引用者)

このように序文の最初の方に引用されていて、本文(雑誌に連載されていたのでしょうか、各メディアや当時のホットなニュースを個別に取り上げた59の章があります)でも繰り返し引用されます。
この本は原書がアメリカで出版されたのが1967年で相当古いですが、今でも面白く読めます。
面白く、というのは当然interestingの意味ですが、マクルーハン氏の言うようにfunnyでもよいのだろうし、実際にそちらの意味でも面白いです。
というのも、上の引用は以下のように続くのです。

本書を面白く読んでほしいと願うのも正にそのためで、正義感に燃えて怒りを爆発させているといった調子に馴れている人の多くは、面白がっているのは無関心な証拠だと誤った印象を受けるかもしれない。しかし何か新しい事態が生じて来たとき、腹を立てたり抗議したりして事が済むのはごく初期的な段階での話である。われわれが今置かれている段階は既にそれより遙かに進んでいる

同上 p.2(下線は引用者)

機械の花嫁―産業社会のフォークロア

機械の花嫁―産業社会のフォークロア

*1:生え際が。これは「薄毛」とは違うと思うんですが…このあたりに親近感あり。後退具合としては『パンプキン・シザーズ』(岩永亮太郎)のヴィッター少尉の方が近くて、今後目指すはこちらかなと思っています。このマンガについてはいずれ何か書きたいです。