human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

登頂の第五歩、斜辺歩き、危険な遊具

まだ二日連続はつらいかと思って、一昨日に続いて今日も登りに行きました。

今日は晴れでコンディションも良く、地蔵前で履き替えて意気揚々と出発。最初にすれ違ったおじさんに「おっ、面白そうなことしてまんな」と声をかけられる。今までで一番好印象*1。砂利道を抜けて「大文字山→」の看板のある橋まで着いたところで上の方からにぎやかな声が聞こえ、今日は人が多そうだなと思うと、体が勝手に(右折して橋を渡らずに)直進してしまう。この直進した道というのが、前回(↓)に下りで(もちろん靴で)開拓した新コースで、ゆくゆくは登ってみようと一昨日思った矢崎のしげる相談員(大阪なら通じるか?)。
cheechoff.hatenadiary.jp
…えーと、難所がいろいろあってもう大変だったんですけど、順々に書くのが面倒なくらい多難だったので思い出した順に適当に書きます。


まず今回身にしみたのは腐葉土地帯の危険さですね。昨日夕立があったのも作用してるはずですが、どこも大体湿気てるなかで見るからにふわふわした土のところがあって、そこでは避けようもなく斜めに踏み込んでしまって何度も足首をやられそうになりました。斜面に対して安定する角度に踏み込んでるはずなのになぜ傾くのか…と呻吟しながら考えていたんですが、たぶんこれはどうしようもないです。というのも、簡単にいえば圧力集中の原理で、以下ちょっと説明してみます。

足が地面を踏む時に地面にかかる力=圧力は(体重)÷(接地面積)ですが、このことから靴よりも一本歯(天狗下駄)の方が地面にかかる圧力は(接地面積が小さいので)大きい。大きいだけ深く沈みます。で、一本歯で腐葉土を踏み込む時に、どれだけ垂直に踏み下ろすとしてもまあいくらかは傾いてしまいます。腐葉土はやわらかいので加重によってどんどん沈むわけですが、やわらかいということは「沈みやすい沈み方をしやすい」ということです。という言い方は分かりにくいので具体例を書きますが、一本歯の歯底が地面に対して垂直に(つまり重力に対して平行に)沈む場合は圧力の変数たる接地面積=歯底の面積になる一方で、歯底が傾いて沈む場合は接地面積=歯底の縁(長辺と短辺がありますが、より面積の小さいのは後者ですね)となります。つまり、腐葉土を一本歯で踏み込むと斜めに沈むのが「力学的に自然」なわけです。そうするとそれをまっすぐ踏み込み直そうとする余計な力が必要になって、その力は身体全体のバランスを崩すように働く(もともと最初の踏み込みはそのバランスが安定するようにしているから)ことになり、足首を守るためにこけざるを得なくなる、と。

その、腐葉土に対して傾きながら沈む前に踏み込み角度を修正する余地が、感覚的にはゼロなのです。岩の場合は、歯底がカツンと当たった瞬間に(反力がビシッと伝わるので)踏み替えられるのですが、腐葉土はソフトタッチ過ぎて何も伝わってこないのですね。まるで蟻地獄のような…。で、今日の道では腐葉土を避けて通る余地があったので現場で対処法は思いつきませんでしたが、今考えると、下ですぐ書きますが今日別のところで大活躍した下駄の台(鼻緒がついていて足を置いている板のこと)の先端部を使えばよいですね。つまり歯底と台の先端部を接地させることで二点支持となって安定します。平地だとかなり前のめりになるし、逆に台の後端部を使うと脱げてしまうほどなので「無理のある体勢」という印象を(寮の台所で履いていた5年間はずっと)持っていたため、この二点支持の安定性を活かそうという発想になかなか至りませんでした。


その発想に至ったのもまさに今日のことで、今日いちばん苦労したのは「まっすぐ立てない足場での移動」がとても多かったことでした。山のもともとの地形が急なところに足場や階段を作る場合、その足場の平坦性が確保されない場合が多いです。つまり、作った足場はもともとの斜面よりはましだけどまだ傾いている、という状態が往々にしてあるわけで、そういう階段は靴ならあまり気にせずに(傾いている分だけ踏み込む程度)上れますが、一本歯だと斜面の向きに踏み込み方が大きく左右されるので場合によっては難度が一気に上がります。

峠に敷設された道路を想像すればわかりやすいですが、勾配の急な山に足場をつくる場合はなだらかに登れるようにうねうねしたり螺旋状にしたりします。その足場(または階段の一段分)が平坦にならない場合はどう傾くかといえば、普通に考えれば山の斜面方向に傾く。つまり足場や階段の進行方向に対して足場(または階段の一段分)は垂直に傾く。今日登った道にはこういう場所がいくつもあって、ちょっと油断して靴の感覚で階段の進行方向に下駄を向けて踏み込んで滑落方向にグラッとくる、というヒヤリハット(あまりにも自然体で起きるわりに生じる結果が重大という企業のリスクマネジメント的には即アウトな事例ですね)を序盤に何度か経験したおかげで、今日だけで地面の傾きにはものすごく敏感になれた気がします。

前回か前々回かの報告記事で「カニ歩き」のことを書きましたが、足場の幅がない場合はこれしかないんですが、幅がある場合は「クロスステップ」で進めることがわかりました。この名前だとミニバス(小学生バスケットボール)でやっていた基礎トレを思い出すんですが、まああれの「クロス方向は一方向だけ+腰をひねらないバージョン」と言えばわかる人にはわかるんですが、それは嘘ですね(僕も書いていてよくわからない)。ふつうに歩く時に、踏み込む足の角度だけを斜めにする、という感じ。その時にできる(ふつうの靴の)足跡の形が、平行四辺形の対向二斜辺のようになる、と書けば分かりやすいですね。現場での言い方に直すと、身体は階段の進行方向に向けて、足(つま先)だけを山の斜面方向に向けて歩く、ということになります。実はこの歩き方(上の例からとって「斜辺歩き」と命名しておきます)、西洋歩きだと腕の振り方がイレギュラーになって(たぶんバランスをとるには左右の腕の振り幅を変えないといけない)大変なはずなんですが、ナンバ歩き(僕の場合は和歩)ではそれほど違和感がないのですね。これはよい発見だと思います。一本歯で幅狭の急な山道を登る人には朗報です(そんな人間が現代に何人いるのか知りませんが)。やはり一本歯とナンバは相性が良い。

で、その斜辺歩きで対応できるところはいいんですが、それどころでない、例えば足場は幅狭で当然斜めっていて歯が食い込んでくれるかすらわからないところだと、一瞥しただけで「はい無理です」と降参したくもなるんですが、こういう場所は上記の「歯底と台の前端を使った二点支持」で一歩一歩着実に接地させながら歩けばよいですね(斜面を下る場合は台の後端を使うことになります。まだやったことないけど。ぶるぶる)。ただこの二点支持は前坪部分の鼻緒に大きな負担をかけるので、あまり多用したくはありません。前回と今回で特に感じたことですが、鼻緒に負担をかける*2ことが続くと鼻緒が伸びて足の装着具合がゆるんできます。繊維が「(塑性変化として)伸びる」というのは「切れる」の前兆のようなもので、家に帰ってくるたびに鼻緒の強度を確認することは必須なんですが、道中ではそれができない…いや、やればいいのか。うん、面倒臭がらずに「ゆるゆる」になったと感じたら立ち止まって確認しないといけないですね(一本歯だと椅子になる物体がないと、一度座り込んでから立ち上がるのが大変なのです)。


道の話があまり書けませんでしたがさらりと触れておきます。今日登った道は「火床を経由せずに山頂まで行くコース」だったらしく(前回に「新コース開拓」と書いた道はじつは道ではなかったようです…前回下りてきたのが濁流によってできた水道跡みたいなところだったことに今日登っている途中でその一帯を見て気付きました。こういう道はけもの道でもなく…なんて言うんでしょう? で、その道ならぬ道とは別の方向に正規の道があったので、僕にとっては未知のその道を今日は進んだのでした)、今振り返れば上記のような分析ができるんですが、その時はもう「無我夢中で登り続けたら山頂でした」という感じでした。

例のごとく一本歯で下りる元気も勇気も力量も足りなかったので靴に履き替えて同じ道を下りました。途中で分かれ道がいくつかあって誘惑されそうになったんですが復習ということで上りと同じ道にしたんですが、周囲の風景はもちろん見覚えがあるものの細部の足場を見るにつけ「え、こんなとこ登ってきたっけ?」という思いが幾度も去来して、上りと下りの感覚の違いは一本歯だと極めて顕著に表れることを今回も実感したのでした。


ちなみに今日のコースの序盤で「足の踏み場がないので岩が点々と置かれた道」があって(そんなに長くなくて、岩の個数で言うと7、8個でしょうか)、靴で下りた帰りにそこに至った時に「いやいやこんなん一本歯で絶対無理やて!」と激しいツッコミを四次元の虚空に向けて発したんですが、よく考えてみると行きに僕はそこを通ったわけで、そこをどう切り抜けたかの記憶が(その下りの時も今も)ないんですが、何がヤバいかというと、その点々と置かれた岩はとれかけの歯のごとくグラグラしているわけです。

話は変わりますが神奈川在住時にたしか平尾剛のウェブ連載(「近くて遠いこの身体」)に影響されてバランスボードなるものを買ったんですが、これは一本歯を入手した数年後のことで、一本歯修養ということで一歩歯を履いてバランスボードに乗るというサーカス的芸当*3の危険な魅力に引き寄せられた時期もあったんですが、「グラグラ岩の上に一本歯で飛び乗る」の危険度はこの比じゃないなと思いました。

我が家のバランスボードは今では遊具として再活用されています。
(どんな遊具かといえば「支点の動くシーソー」。危険やな笑)

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というのは冗談ですが、しかし実際京都に来てからは埃をかぶっていましたが「左右のバランス力」を鍛えるべくバランスボードも日常に取り入れてみようと思います。


えーと最後に、今日で「第五歩」、つまり一本歯で外歩きの五日目になるんですが、一歩ごとに(もちろん結果的に)ハードルが上がっているのが大変気になっていて、というか危険なので、次は初心に戻ってあっさりいきたいと思います(遍路の道だってそう険しいところばかりでもないでしょうし)。
はー、あっさりあっさり!(違ったか)

*1:すれ違う方々は様々な反応をしますが、よかれあしかれ「異物を見る目」がまずあって、好奇心が先立つのは珍しい。覚えているのは、ご年配の団体の中で先導的なおじさんの「天狗さんですなあ」と、おとといの雨の中で一組だけすれ違った外国人(アメリカ?)カップルの若い男性の方が、追い抜きざまに下駄を指差しながら「Amazing!」と。後者の反応に対しては、なるほどわかりやすいなあと思いました。誤解の余地のないコミュニケーションというか。そのカップルは僕を追い越して先に火床に到達したらしく、帰りにまたすれ違った時には「(Good luck!)」と顔いっぱいにマジックで書いたような笑顔で、無言で親指を立ててくれました。僕は余裕がなくてThank you.も何も言えませんでしたが。そう、平地ならまだしも登山中は必死なので周りの目は気になりません。ちょっと相好を崩そうものなら体勢も崩れてこけます。

*2:例えば斜めに踏み込んでつまずいた時には足裏を台に対して傾いた状態で体重をかけてしまうのでもの凄く負担がかかります。第一歩の時はこうやってつまずいた時に左足の前坪部分の鼻緒が切れたのでした。

*3:バランスボードは左右が不安定で、一歩場は前後が不安定で、組み合わせれば面白いかも…! と思ってやったんですが、相当危険なので皆さんは覚悟なしにはやめましょう。…という注意喚起が果たして現代に(以下略