human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

戦略的可動式本棚積上法

タンスとトイレドアの修理の話を書こうかと思って撮り溜めた写真を見ていると、引っ越し前の荷造り時の写真があったのでこのことを先に書いてみます。

可動棚付き本棚を重ねる@神奈川


これは荷造り途中の寮の部屋の写真。
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非常にわかりにくいですが、奥の左からそれぞれ幅120cmと幅90cmの本棚が2つあります(両者ともこげ茶ながら若干濃さが違っていて、デッサン人形の置いてあるあたりに境目がある)。
本棚を埋め尽くしていた本の大部分が段ボールに入った段階の写真で、このまま本を梱包し続けて完了したんですが、他のものを梱包しようとすると段ボールを置くスペースが足りない。
そこで上記の2つの本棚を上下に重ねればスペースが確保できると思い付き、90cmの方を持ち上げようとするも、重い。
とても重い。

学生時代の自分なら力任せで無理やり持ち上げるところですが、本棚の持ち上げ方をいろいろ試してみるにどうも1m以上を一気に持ち上げる体勢には無理がある。
どうしようかな。

と、そこら辺にあるものを見回すと、すぐ横にボックスラックというのか、直方体タイプと立方体タイプを組み合せて階段状のラックにしたりできるやつがあったので、こいつを足場に使おうと考えました。


以下より「なるべく力を使わずに本棚を重ねる」方法を手順ごとに写真で紹介。

(1)
<ボックス2つで足場を一段上げる>
ボックス一段分なら、本棚の片側だけを持ち上げてボックスの上に乗せることができます。
片側だけを持ち上げるのは、本棚の上端を押しながら下端を持ち上げることで力はそんなに使いません。
力学云々というほどややこしい話ではないですが、機械系出身だけに「力のかかる矢印」を思い浮かべたくなります。
本棚の上端を押すことが持ち上げる力に加わるのは、地面(カーペット)と本棚の裏(底面)との間に摩擦があるからですね。

人間関係にも摩擦は必要です(と森博嗣氏はよくエッセイで書いてます。唐突ですが)。
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(2)
<さらにボックスを1つずつ足して足場をもう一段上げる>
これは(1)と同じ要領ですが、二段目は「空中戦」になるのでより神経を遣います。
倒れるとヤバいので本棚の位置を変えるごとに安定性を確かめます(まず支える手を離して様子を見て、少し押したり引いたりして倒れないかを確認する)。
本棚がふつうに地面に置かれている場合は「面接触」ですが、段違いで斜めに置かれる場合は「線接触」になるため、接地面積がぐんと小さくなります。
つまり摩擦力も小さくなるので、横向きのちょっとした力で大きく動くので注意が必要です。
面が線になる、と頭で分かっていれば、斜めにした時にいかに不安定になるかがイメージできます。

片側だけ二段上がった状態(写真上)と、両側とも二段上がった状態(写真下)。
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(3)
<ボックスの向きを変えて二段分の高さをかさ上げする>
(2)の段階でもう次は120cm本棚の上に届くかと思ったんですが、持ち上げ途中の90cm本棚を斜めにした時の安定性がイマイチでした。
足場に使っているボックスは立方体ではなくタテとヨコ(寸法名称的にはヨコと高さ)の長さが少し違っていて、(2)の段階では高さが出ない向きにボックスを置いていたので、そのボックスの向きを変えることにしました。
向きを変えても高さはちょっとしか変わらなくて、この一手間をかける(これだけを見た場合の)達成感はほとんどなくて、昔の自分はこういう「力仕事の中でのみみっちい作業」は好きではなかったんですが、本棚を重ねるという作業の全体を思い直し、「なるべく力を使わずに」という趣旨に照らせば、このみみっちい作業は実は大事な一歩だとわかります。

写真は片側だけ二段分のボックスの向きを変えた状態。
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(4)
<120cm本棚の天板へ乗せる>
最後です。
よいしょ、
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よいしょと。
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こうして腰を痛めることなく(なんて言い方はアラサーには早いか?)無事に本棚を重ねることができました。

 × × ×

話は京都に移るんですが、家でご飯を食べている間は活字を読むかネットをしていて、活字の方は本類の梱包を解く作業がほとんど進んでいないのですぐ出てくるものをと選んだ結果が「内田樹氏の過去のブログ記事(紙媒体)」です。

大学院の時に研究の合間に大学のプリンタで印刷して読み始めた(というのは准教授も真っ青の嘘で、時間配分からして「ウチダ氏ブログを読む合間に研究をしていた」が正しい)のが最初で、当のブログサイト(内田樹の研究室)とそのアーカイブを見ればわかる通り、1999年からこんにちまで(数年前までは)切れ目なく書かれた記事の量は膨大にあり、実際に印刷して僕の手元にあるのは2014年末分までですが、ふつうのA4ファイルをパンパンに綴じて10冊分くらいあります。

で、そのA4ファイルがちょうど開けた段ボールの一番上に置かれていたので拾い上げてご飯を食べている間に読んでるんですが、たぶん三度目になりますが何度読んでも面白い。
内容的にはさわりを読んで「ああ、あの話ね」とすぐ先が読めるんですが、文体というのかエクリチュールというのか、読んでいるうちにこちらの気力が湧いてくる、または頭の回転が滑らかになる、という感じがします。
(具体的な時期は忘れましたが、ウチダ氏がツイッターを始められてからツイッターとブログで「書き分け」をされているようで、そのツイッターを始める前の文章の方が文体は好きですね)

ウチダ氏がそのブログで昔書いていたことですが、著作の原稿を書く前(だったか朝起きた時だったか)にいつも読む(←ぱらぱらめくって偶然行き当たったページを読む、というニュアンス)本があって、その一つがマルクスの『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』である、と。
そしてこの本は内容的には古くて(フランス革命の話ですからね)、書いてあることが現代社会の諸問題にそのまま応用できるものではないが、どのページでもいいから読み始めると「脳内のモータが音を立てて回り始める」(という表現ではなかった気がしますが)、と。

ウチダ氏のブログの内容は全然古くはないのでそのまま同じとは言いませんが、僕にとってウチダ氏ブログは、ウチダ氏にとっての『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』なのかもしれません。


というのはながいまえおきで、本記事の前半と繋がる話はこれからなんですが…

数日前のご飯の時に読んでいた記事*1に、"私はあらゆる「戦略的」なものに総じて好意的"である、という記述があって、本記事でつらつら書いてきた「単に本棚を重ねるだけの話」はまさに戦略的な話であって、これは昔の僕が好きではなく(「卑怯だ」とすら思っていたかもしれません)今の僕が好きなものの一つだと思ったのでした。

この傾向の変化はウチダ氏ブログを読み込んできた成果なのかもしれないし、齢を重ねて「直接的な、派手な、わかりやすいこと」に魅力を感じなくなったからかもしれません。
戦略的思考というのは構造主義と相性が良いので、前者は間違いなくあると思います。


そうだ、せっかくなので、というか知らないで書くというのもアレなんで、『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』を入手して読んでみようと思います。
(いや、もう書いちゃってますけどまあ「事後的に解消される」ということで堪忍)
少なくとも本の整理が終わってからになりますが。