大切にしたいものは何??鶴見俊輔と中学生たち (みんなで考えよう)
- 作者: 鶴見俊輔,南伸坊
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 2001/12/01
- メディア: 単行本
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今日1冊の本を読んで、触発されたことを別のブログ「深エリ」↑に書きました。
そのブログは最近は年末年始にだけ書いていましたが、内容的に今日のはそっちかなと思ったので。
× × ×
「自分で問題をつくって自分で答えをだす」
「どうも答えが決まらない場合は、その問題をもちこす」
これは本の中の鶴見氏の発言(まえがき)の抜粋です。
いろんな本を読んで、その都度関心をもったトピックについて文章を書く、ということをこのブログでしてきましたが、「自分で問題をつくる」という視点はありませんでした。
本の内容を自分の関心に引きつけることで出てくる問題とそれとは重なる部分もありますが、「問題と答え」という学校教育のテスト的な発想から離れるようにしていたので、問題意識があっても、それに対する答えというよりはその問題意識から引き出される考えをとりとめなく書いてきたように思います。
日常的に念頭にあること(新聞などのメディアに対する姿勢、消費者的感覚、身体性、など)に対して、ときどき「自分で問題をつくって自分で答えをだす」ことをするようにしたいです。
毎日同じことを考えているはずはなくて、であれば日頃の関心対象への思考は変化しているはずで、その変化を捉えるには誰かと喋るのでもない以上、書き留めるしか方法がないからです。
「深エリ」で触れたことですが、自分が求めているはずの変化がみせかけでないと確かめるには、自分の中の変化の予兆を形にするしかありません。
形にした結果が停滞の証になってしまう恐れがあるのかも、とこれは今思いましたが、停滞の証はすなわちスタートラインの確認でしょう。
どう転がっても、今の自分をもっとよく知ることができるはずです。
「深エリ」で書いた中で山場の部分を抜粋しておきます(山場とは、特に気持ちがこもった部分だという意味です)。
本来は文脈あっての文章だから、この一節を読んで全文を確認したくなるような力がこの一節にあればいいな、という思いを込めて。
苦しみを、不幸を、その因子を先回りで除去する賢い生き方は、楽しみを、幸福を引き立てない。
ただ、自分の感受性を鈍らせる人と一緒にいたくない。
正確に言うと、個人の感受性を鈍らせることで集団の目的が遂行される場にいたくない。
そういう場には自然とそういう人が集まってくるからだ。
× × ×
本記事のタイトルの「寺子屋」は、本記事で取り上げた本の趣旨であり、そこからお借りしました。
「一人」と書きましたが、それは僕自身の今後のことであって、この本を読むことは、鶴見氏が開いた「会」に中学生たちと一緒に参加するようなものです。
(ちなみにこの「会」は1998年に開かれたとのこと。ということは僕は参加した中学生たちとほぼ同年代ですね)
まえがきの最初を抜粋しておきます。
みなさんは、中学生ですね。中学生の話をききたいと前から思っていたんです。ここにいる福島さんという中学校の先生が、子どもの作文をたくさんもってきたんですね。とてもおもしろかった。そこで、作文を書いている人たちと会って話をききたいと思ったんです。それが、この会の始まりでした。
これからはじまる会は、昔の「寺子屋」のようなものになるといいと思う。「寺子屋」は、みなさんが、自問自答するものにしたいんです。
『大切にしたいものは何?』(鶴見俊輔と中学生たち) p.11
本書では鶴見氏や大人たちが時に意見を挟みながら話し合いを促すことで、14人の中学生の「自問自答」が、彼らの学校生活・家庭生活においてとても実際的に展開されていきます。
その話し合いの柔らかさはきっと鶴見氏の人柄によるもので、その柔らかさと南伸坊氏の絵がとてもマッチしています。