human in book bouquet

本格的に本と関わっていきます。

ルフィとゲッターロボ/とても心地の良い疲労

イチロ・日産、プール・日参。

と言いつつ今日はおやすみでした(言いたかっただけ)。
昨日がプールに限らず一日中体を動かしていたからで(大雑把にいえば3時間徒歩+4時間水泳+2時間立ち読み)、今日は疲れることは何もしていないのに既に眠いのは昨日の疲れが残っているからでしょう。

眠いですが、何やらいろいろ書けそうなので書きます。

省エネクロールおぼえがき・その2

昨日の話です。

腕や肩の疲労が抜け切らず、最近は「パタ」(←息継ぎをするために全身を回転させるために片足で一回行うバタ足)とやる時に負担がかかる足首(特に左足。なぜ両足でなく左足なのかはなんとなく掴んでいますが言語化が難しそうなので後回し)も痛んでいて、十全な身体状態で泳げてないなあと思いながらも(その日の泳ぎ始めから筋肉痛などを感じると特にそう思います。ただ全体的な体調としては泳ぎ始める時に元気になります)、その日に泳ぎ続けるうちに身体の活性化に思考が同調してくるのか「疲労がある状態でこそ"省エネクロール"の省エネ手法が開発されるのだ」と前向きになってきます。
昨日は前半の泳ぎは漫然となっていたものの思考が変わってからはいくつか気付きがありました。

「平泳ぎは脚で前進する泳法、クロールは腕で前進する泳法」というのが今期最初の僕の認識ですが、これは修正されつつあって、まず平泳ぎが脚でしか前進できなかったのは僕の肩や腕がなまっちょろいからで、今回プール通いを重ねることである程度腕の筋肉が「眠りから覚めて」からは腕を使っても前進できることを確認しました(ただ平泳ぎの手の掻き方もあんまりなってなくて、これもコースですれ違うスイマーを観察して研究をしている途中です。現状でも無理なく泳げますが、同じ平泳ぎのスイマーに後ろから追い抜かれるのでスピードが出ていない)。


一方の「クロールは腕」の方ですが、こちらはまだ(?)この通りなんですがあまりこう考え過ぎると末端だけで頑張ってしまって力を入れてるわりに進まないことが昨日わかりました。
この気付きは上記の前向き思考を具体化した「腕が筋肉痛の状態でもリラックスして泳ぎたい」という考えを念頭に泳いでいて、泳いだ25mが何となくラクだったかもしれないという結果を受けてその泳ぎを頭で振り返った時に得られたもので、一言でいえば「(息継ぎのための)体の回転を手掻きにも利用する」です。
これは言葉から実際の動きを想像するのが難しいのですが、何か具体例はないかな…と先ほど考えていて「ルフィの"ゴムゴムのロケット"」を思いつきました。

ルフィとは『ワンピース』のゴム人間ですが(という野暮な解説は自分に向けていて、なぜならジャンプは中高の頃しか読んでなくて記憶が古いからです。名前を忘れましたがサイボーグ人間以降の「麦わらの一味」を知りません)、彼は腕を伸ばしてパンチをする時に思い切り「振りかぶる」、そして伸びた腕を戻す時には半身を使って「引っ張り上げる」。
クロールの手掻きに腕や肩だけでなく上半身、あわよくば全身を使う動きは、このルフィの「引っ張り上げる」動作のようなもので、腕に勢いをつけるために全身の体重を利用する。
これを例えばゲッターロボロケットパンチと比較すればより分かりやすくて、発射する手(腕?)自体に推進動力が備わっているので、手の発射時にも回収時にも本体は腕を前に構えてじっとしていればよい。
つまり「手で水を掻かないと」と思って腕を一所懸命に振るだけだと、ルフィよりもゲッターロボに近い動きになってしまうわけですね(あくまで思想として)。

この「体の回転を利用すした手掻き」ができているかどうかは、疲労が蓄積される(筋肉痛になる)身体部位によって判断できるはずです。
僕は今期にクロールで泳ぐようになった最初の頃は腕に限定してつらかったのですが、だんだんと肩や胸(腕の付け根あたり)、背中(同前)にも疲労が広がっているような感触があります。
この傾向はとりあえず「だんだんと全身を使ってクロールができるようになっている」と解釈しておきます。

ただこれをやり過ぎると良くないのはソフトボールをやっていた身からすれば想像しやすくて、遠投ばっかりやって肩が脱臼するみたいなことになりそうです。
力学的に考えれば「遠心力の支点をどこにするか」という問題で、腕に力を込めて手を掻けば腕が筋肉痛になり、半身を振って「手を引っ張り上げる」と…肩なのかな? やっぱり負担がかかるのは腕の付け根になりそうだけど、それをもっと胴体側にもってくる手段はないのかしら?
まあこの辺は泳ぎながら試行錯誤してみましょう。

 × × ×

本記事の総括というより抽象なのですが、体の動きに末端だけでなくより中心部(あるいはより全体)も導入することで、感覚としてインプット(=所定の体の動きを実現するために入れる力)が少なくて済むのではと思っています。

今ふと連想したのですが、ラグビー平尾剛氏が昔の日本人の身体の使い方について書いた記事から以下に少し抜粋します。
(何ヶ月も前に会社の昼休み時に読んだ記事なのですが、「300キロ」という数字だけは覚えていて、検索したらすぐ見つかりました)
抜粋中の「写真」はリンク先にあります。

 これは、5俵の米俵を担いでいる写真です。一俵が60キロ。5俵あるので、300キロを女性が担いでいます。この写真を初めて見たときはとても驚きました。僕はバーベルでも300キロを背負ったことはありません。担ぐということは、これで歩いていたと思われますから、なおさらすごい。こういうことが昔の日本人にはできたんです。
 なぜこんなことができたと思いますか?

 実はこれ、身体の使い方に秘密があるんです。写真を見た感じ、歯は食いしばっていないでしょう? 大地を踏みしめるようにグッと踏ん張った感じもない。膝もどうやらつっぱっていない。つまり、力みがみられない。この人たちは、身体全体がこの重量に耐えられるような構造を作っているんですね。「筋力」に頼らず立っています。身体の使い方を整えることで力を発揮しているんです

www.mishimaga.com

とても飛躍していますが、体の痛みとか負担というのは主に局所的な感覚で、本当に全身を使った運動ができれば、もちろん疲れはするでしょうが、どこぞが痛むなんて感覚は全くなくて「とても心地良い疲労」が得られるのではないか。
それは疲れを知らない子どもが「走り回るだけで幸せそうに見える」ことにも通じないか。

そんなことを考え、
「理想的な身体の使い方」を、
具体的には全く未知数ながら、
想像しておくのもステキなことだと思いました。