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お遍路天狗の京都修行日記

ただいま一本歯で四国遍路中。

「鳩屋詣の八十八文」について

 「鳩屋詣の八十八文」

半分以上冗談の思い付きが時を経るごとに形を成して行き、
遂に名を得るに至った話について。

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 × × ×

毎週土曜にVeloceで読む本を、
湯治から帰ってきた翌週(=先週の土曜)は持っていくのを忘れ、
その直前にBookOffで仕入れた本を読むことにしました。

そのさらに少し前から『ブッダの夢』(河合隼雄中沢新一)を平日夜に読んでいて、
河合隼雄氏の文章はこの本で初めて読んでとても面白いと思ったという経緯があり、
BookOffではたまたま見かけた岩波新書の『コンプレックス』を購入しました。

内容はこれも面白くて、
二日で読み終えるつもりが僕自身のことを考えさせる部分がいくつもあって
そのつど立ち止まって昔を振り返ったりページにメモを書き込んだりしていたのですが、
今日そんなことをしている間にふと四国遍路のことを思い浮かべることになりました。
(たぶん「儀式」の話を読んでいた時のことだった気がします)


学生の頃に自転車で大阪から北海道(宗谷岬)まで行ったことがあって、
それなりに良い経験だったものの、もうこりごりだという思いがあって、
どうこりごりなのかといえば「自転車はもうええから次は歩きや」と、
何に懲りたのかよくわからないんですが社会人になってからこう思い、
それからある日仕入れた「四国遍路は歩けば40日かかる」という情報に丁度良さを感じ、
(自転車の旅は帰りに小樽〜舞鶴間でフェリーを使って4週間の行程でした)
さらに別の文脈で(室内で)履き始めた天狗下駄(一本歯)との並々ならぬ相性を発見して
「一本歯で歩き遍路に行こう」というリアリティ溢れる冗談が最初に生を享けたのが
ウン年前。

そこには「行きたい」のではなく「いつか行くことになるだろう」という思いがベースにあり、
意思はほんのり、
整うべきは布置、
背中を押すは縁、
「そうか、ご縁か」と思ったかそうでなかったか、
1年近く前に「釣り銭の五円玉を貯めていこう」と思いつき、
思いついた当初は「八十八枚貯まったら出発だ」とも言っていて、
これは今や通り過ぎていて冗談になってくれたんですが(冒頭の写真を参照)、
そのまま習慣で「引き出しの中のご縁(五円)」が今も重みを増し続けているところ、
(例えばレジで「お会計216円になります」と言われた時に、
 五円玉を持ってるのに敢えて221円を出すような貯め方をしています)
今日のVeloce読書中にその冗談の「続き」を思いつき、
想像してみるとなかなか絵になると思ったので言葉を与えようと思って、
本記事冒頭(タイトル)の表現に落ち着いたのでした。

 × × ×

「八十八枚の五円玉」を考えていた時は、
寺を巡るごとに一枚ずつ賽銭箱(あると仮定しています)に放り込むつもりでした。
八十八枚を超えてからその発想は更新されぬまま放置されていたのですが、

(以下今日の話)

紐に五円玉をずらりと通して首から提げたら面白かろうと思い、
そういえば『落第忍者乱太郎』(尼子騒兵衛)では銭をそうやって持ち運んでいますが
(和同開珎だったかな?…いや、紐に通すだけで首からぶら下げたりはしませんが)
それはさておき、
五円玉は貯まった分を八十八で割った枚数を巡る寺ごとに納めることになるわけですが、
その枚数ごとに文(ふみ)を帯状にたたんだもので括ってはどうかと思いつきました。

数枚の五円玉を文で括った八十八個のかたまりを紐なり鎖なりに通して首から提げ、
寺に着くごとに鎖からそのうち一個をひょいと取り出して賽銭箱に落とす。
四国を巡る間に、
首飾りは軽くなっていく、
肩の荷が少しずつ下りていく、
物理的な「五円」の重みと一緒に、
生活で蓄積されたアノニマスな「ご縁」も解放されていく。
…ご縁を憑き物のように言ってますが、
よしあしはどうあれ実際の効果としては似たようなものでしょう。

そしていま「文(ふみ)」と書いた通り、
五円玉を括る紙には何かを認(したた)めようと思いました。

最初は俳句を書こうと思い、
素養はないので今日の帰りに有隣堂に寄って俳句の本を物色してみたのですが、
思い立っていきなり思い通りに書けるようなものではありませんでした(そりゃそうだ)。
続いてお寺とか、四国各地のこととか、何かしら遍路に関連する文がいいかとも考えましたが、
自分自身から遠い文を書いても仕方がない気がしました。

そんなことを帰り道に歩きながらつらつら考え(50分もあるとこういう時にいいですね)、
自分に近い文といえば日常的に開放している「連想」がいいな、
そうでさえあればテーマはなんでもいいなと思い、
ちょうど今読んでいる河合氏の本の中に格好の題材を見つけたのでした。

 ユングの用いた言語連想法とは、あらかじめ定められた百個の刺戟語があり、検査者は被験者に対して、「今から単語を一つずつ、順番に言ってゆきますので、それを聞いて思いつく単語を一つだけ、できるだけ早く言って下さい」といって、ストップウォッチを持ち、刺戟語を言って相手の反応した単語と、反応時間とを書きとめてゆけばよい。
 このようにして、百個の連想が終ったあとで、「もう一度くり返しますので、前と同じことを言って下さい」といって、再検査をする。前回の反応を覚えていたときはプラス(+)、忘れたいたときはマイナス(ー)を記入、一回目と違う言葉を言ったときは、それを記入してゆく。
(…)
ユングの卓見は、彼自身ものべているように(…)、人々がどのような連想をのべるかということよりも、連想時間が非常におくれたり、連想できなかったりするという現象に注目した点にある。

「第1章 コンプレックスとは何か」p.9, 8(河合隼雄『コンプレックス』)

この言語連想法の「百個の刺戟語」を、以下に表で抜粋します(p.10 表1)。

1 頭21 インキ41 金61 家81 礼儀
2 緑22 怒り42 馬鹿な62 可愛い82 狭い
3 水23 針43 ノート63 ガラス83 兄弟
4 歌う24 泳ぐ44 軽蔑する64 争う84 怖がる
5 死25 旅行45 指65 毛皮85 鶴*1
6 長い26 青い46 高価な66 大きい86 間違い
7 船27 ランプ47 馬67 かぶら87 心配
8 支払う28 犯す48 落ちる68 塗る88 キス
9 窓29 パン49 本69 部分89 花嫁
10 親切な30 金持ち50 不正な70 古い90 清潔な
11 机31 木51 鮭71 花91 戸
12 尋ねる32 刺す52 別れる72 打つ92 選ぶ
13 村33 同情53 空腹73 箱93 乾し草
14 冷たい34 黄色い54 白い74 荒い94 嬉しい
15 茎35 山55 子供75 家族95 あざける
16 踊る36 死ぬ56 注意する76 洗う96 眠る
17 海37 塩57 鉛筆77 牛97 月
18 病気38 新しい58 悲しい78 妙な98 きれいな
19 誇り39 くせ59 あんず79 幸運99 女
20 炊く40 祈る60 結婚する80 うそ100 侮辱

そしてこの中から88個を選び、
それぞれの語から連想する短文を本ブログにぽつぽつ書き溜めていく、
といったことを考えてみたのでした。
(たぶん表の中で身近でない語が選定から漏れることになると思われます。例えば「93 乾し草」とか)

 × × ×

なんというか、全部が全部思いつきで書いているので、
これらのことの意味はなく、あるとすればこれから考える、つまり後付けになるわけですが、
面白いなあと思いながらやっているうちに冗談が本気になってくるかもしれません。
あるいは不思議な熱意が一夜で冷めて明日には忘れてしまうかもしれません。
それを決めるのは僕ではなく「布置」です。
(河合氏のこの本には「布置」がとても多くでてきます。なんとも日本的な言葉だなと思います)

とりあえず、
上に説明した短文を「八十八文」(はとやぶみ、と読んでください)というタグをつけて、
今後書き溜めていこうかと思っています。
細かいことは書きながら考えていきましょう。

あ、冒頭の「鳩屋詣」は「八十八(箇所を)詣(でる)」を意味します。
本ブログタイトルの「鳩詣」ともかけていますが、
そもそも「鳩詣」とは何なのでしょう?

…これはまだ秘密です。

*1:刺戟語85の「鶴」は、ドイツ語のでは「こうのとり」である。こうのとりが赤ちゃんを運んでくるお話はヨーロッパ文化圏特有のものであり、それを考慮して用いられた刺戟語であるから、一応、わが国で用いる場合として、「鶴」に変更しておいた。(『コンプレックス』 p.10)