human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

「風邪による自己治癒モデル」のこと

風邪を先週の土曜にひいて、
回復にけっこう時間がかかっています。
今日でやっと本調子かなとも思えましたが、
いつも通りの行動量はこなせても身体の疲労が大きい気がします。

『風邪の効用』(野口晴哉)はまだ読んでないですが、
今回の風邪には効用があったような気が、数時間前まではしていて、
具体的には首の神経痛がマシになったようで、
変な曲げ方をした時にしていた「危険な痛み」が、
「鋭い刺激はないわだかまり」くらいに落ち着いていたハズなんですが、
さっきソファでマンガを集中して読んでいたらまたぶり返しました。
首にとって楽な姿勢をとっていたんですが、
どんな姿勢であれ微動だにしないのはよくないようです。
 集中するなということか…
 身体の要請で思考も分散的になりそうですね。
 既になっているかもしれません。
 一日に何冊も平気で併読しているのは、
 逆に言えば何時間も続けて一冊を読む根気がないことでもある。
 このこと自体の理由はそれだけではなく、
 サラリーマンの宿命とか、本の内容と日常の混合とか他にもありますが。

話を戻しまして「風邪の効用」について、
未読ながらも野口氏の他の本は何冊か読んでいて、
「活元運動」のことも説明できないまでも印象としては頭に残っているので、
恐らくこういうことが書いてあるんだろう…というよりは、
書いてあるであろう内容を僕が解釈すればこうなるであろう、
ということを以下に書いてみようと思います(ややこしい)。


風邪を引いて熱が出たら安静にしないさいとは小さい頃によく言われましたが、
子どもであればじっとしていれば元の状態に回復します。
その元の状態とは、「成長過程にある身体の状態」です。
が、身体の成長が止まった大人になってからは、同じように安静にすると、
治った時には「老化が進んだ状態」になるのでは
と考えています。

使わない筋肉は衰える、という現象と同じだと思いますが、
例えば僕は中学生の時に跳び箱で足首を骨折しましたが、
(跳び箱に手をついてハンドスプリングをする技で着地時に折れました)
ギブスをはめて何十日か松葉杖で生活をした後、
ギブスを外すと足首がひょろひょろに細くなっていて、
そこから最初に折れた足に体重をのせるのが非常に怖かったことを覚えています。
そのような状態になっても、また使い始めれば筋肉は元通り付いてくれるのは、
子どもでは当たり前ですが老人になると怪しくて(骨粗鬆症の方が心配か)、
そうなれば歳をとるごとに回復力は衰えていくということになります。
この「回復力が衰える」という表現は健康体を基準にした言い方で、
つまり科学的でないというか、ある価値判断が含まれていて、
それを省いて「生理的必然」、つまり年相応の身体変化を基準にすれば、
骨折や風邪などの「特異点」が治れば元の関数曲線に合流する、というようなことで、
しかし「特異点が発生しなかった場合に想定される予想曲線」が、
実際に風邪をひいてしまったためにズレてしまうことがあるはずで、
これは上の「回復力が衰える」と同じ価値観の表現を使えば「老化が進んだ」となります。

(その場の思い付きで書き進めて話が勝手に戻って来たことに驚きましたがそれはさておき、)
言いたかったのは、
風邪をひいて発熱した時の身体は「細胞の再配置」が行われるのですが、
この再配置は「年相応の身体状態(変化)」に対応するだけでなく、
「実際の再配置時の身体状態」にも対応するのではないかということです。

 『アイシールド21』(稲垣理一郎村田雄介)の「超回復」の話を今連想しましたが、
 あれはたしか筋肉を酷使する時間としっかり休める時間とを上手く配分する話なので、
 今しようとしている話と全部が同じではないと思いますが、
 身体が発熱しているのは抗体がウイルスとかと戦っているからで、
 発熱自体は身体でまっとうな生理反応が起こっている証拠で、
 ただこの反応は「抗体をやっつけて元に戻ろうとする作用」でもあって、
 その際の、細胞が交戦中に念頭におく「元の状態」がどこなのかという話で、
 例えばそれが寝たきりの状態と普段通りに動いている状態とでは、
 その「元の状態」が変わってくるのではないか、
 というのが直上の下線部の説明になります。

で、さらに話が戻りまして自分の首の話ですが、
今回の風邪は症状が発熱だけで(前の記事では「風邪ではない」と書きましたが)、
体力的につらいもののじっとしていても動いていても治りの早さは同じ、
という僕自身の経験則があって、普段通りに生活しつつ、
でも頭がいまいち回らないので病欠しつつBookOff→Veloceの2時間コースを歩いたりしていました。
(1つのことはむしろ集中してできるのですが、ノイズに弱くなってしまうのですね)
その発熱中は首の痛みがマシになっていて、
これが体調不良のせい(他にしんどい部位があるから首に気が回らない)の可能性があって、
もし元気になっても首の痛みが薄らいだままになってれいれば、
「これこそ"再配置”の成功例になるじゃないか!」と期待していたんですが、
現状はちょっと、微妙なところです。

これから風呂でほどよく温めて、
他には何もせず首に無理をかけずさっさと寝てしまって、
明日どうなっているかで判断できそうな気がします。
まだ体調が万全ではないとも思えるので、明日でなくとも、
(身体全体が)元気になるまでが勝負だと考えています。


どこか身体部位に慢性的な不調がある場合に、
それが治るような行動(その部位を普段からいたわる)を続け、
それが何ヵ月か何年かは分かりませんが、
ある時ひょっと風邪を引いて身体が熱を持ち、
その間もいつもと同じ上記の行動を続けた時に、
習慣的行動が示した方向性を発熱した身体が汲み取ってくれて、
身体配置ががらりと組み変わる、
という「風邪による自己治癒モデル」
を自分で実証できたら面白いと思うんですが。