human in book bouquet

司書資格を活かせる仕事を探していきます。

原爆・原発としての核、思想モデルとしての荒巻素子

三連休だったので、「籠り日」(「木漏れ日」と似てますが、えらい違いですね)の日曜を挟んで今日もVeloceへ行き、
ヒロシマナガサキフクシマ 原子力を受け入れた日本』(田口ランディ)を読了しました。

ランディ氏は本当にすごい人だと思います。
本書は他のランディ氏の著書に比べるとくだけていない、丁寧な文体なんですが、そんな文章の中に氏の身体性がはっきりと感じられて、歴史の話でも経済の話でも読んでいて没入感があり(「自分もちゃんとこの本の読み手に含まれている」という安心が本の内容と読み手の距離を縮めてくれるのだと思います)、感動する場面でもないのに涙が出てくることもありました。
氏が、自分自身を賭けてこの文章を書いている(「賭ける」といっても勝負ではなくて、この文章を書くことで自分が被るかもしれない影響を想像し、かつそれを恐れずに書いている、ということです。文章の内容を批判された時に、その文章が他人の意見の拝借である場合と、自分の価値観や感覚をありのまま込めてある場合とで、書き手が受けるダメージは相当違うはずです)ことがひしひしと伝わってきて、そのことはメタ・メッセージ(具体的には、氏の震災直後の経験や知人の動向などの描写)として本書の所々に差し挟まれているのですが、そのメタ・メッセージに込められた意志が本書のメッセージ(本筋の内容)にも乗り移っているかのように、本書全体の内容が読み手に揺さぶりをかけるのです。

東日本大震災あるいは福島原発事故に対して、何を考えればよいのか、どう向き合えばよいのかが分からない。3.11の前後で日本は変わった、変わらざるを得ない、などと言われているが実感が湧かない。そう思われている方は、一読をおすすめします。

内容については詳しくは書きませんが、原爆として、また原発として世界に甚大な影響を与えてきた(与え続けている)「核」の歴史について、教わるところが数多くありました。本書にはいろんな人が出てきますが、僕はレオ・シラード、そしてロバート・リフトンという人について、もっと知りたいと思いました。名前を頭に刻んでおき、彼らの著書と出会った時に、「考えるより先に手が伸びる」ようにしておこうと思います(準備してやるものではありませんが、そういう未来をイメージしておくと、イメージしないでいるより実現性が高くなるのです)。

ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ: 原子力を受け入れた日本 (ちくまプリマー新書)

ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ: 原子力を受け入れた日本 (ちくまプリマー新書)


 × × ×


以上は、わりと多くの人に通じる感想で、ブログ編集画面を立ち上げてから書きながら考えたことです。

そしてこれ以下は、Veloceでの読了後に放心し、何かが意識に浮かび上がるのを待っていた時に思いついたことです。

(「認識が訪れる」という言葉がありますが、その表現の通り、自分の部屋で寛いでいると玄関の方から「ごめんくださーい」と声が聞こえてくるような、そういう認識もあるのです。その訪問はもちろん頭の中で行われたことで、しかしそれでいてこの現象に自分の明確な意思が関わっていないように思えることは、「自分の中に"外"がある」ことを示唆します。個の境界は身体におけるそれと脳におけるそれとで異なることは理解が難しいことではありませんが、脳と身体とが一人の人において極めて複雑に影響し合っていることを考慮すれば、身体における個の境界が曖昧になっていく感覚にも実感を持てると思います。以上は脇道でした)


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内容に触れずに書くのは難しいのですが、
本書に没入しながら読み、
そして読み終えた自分は、
自分で「これからの生き方が問われている」と思いました。
人に(紹介はしても)強制するものではなく、ただ自分がそう思うところの思想。
何か、理想(モデル)はないかと考えたようにも思います。

メタファの効果は大きく、思想や価値観は論理的に言葉で表現すべく努力すべきもの(まず他人と共通了解をとるためには必須だし、努力することで内容が深まり、曖昧な部分が明確化することで修正すべき点も見えてきます)ですが、「オープンエンド」、論理の手前の身体性やイメージの喚起力を借りることで新たな言葉を生み出す可能性の点では、変化し続けるためにメタファは欠かせない存在です。


 カフェの内空間を照らす、
 整然と並んだダウンライトをぼやっと眺めていると、

  "荒巻素子"

 のイメージが浮かんできました。
 そしてそのイメージが意味するものを考え、

  "「身の丈」をベースに情報の奔流と渡り合う"

 という言葉が出てきました。


数週間前に『攻殻機動隊2』(士郎正宗)を読了したと書きましたが、じっくり読んでおきながら(それが原因のような気もしますが)あまりにも理解不能な描写が多かったので、今度は勢いよく進めようと読み終えた翌週から「2周目」を始めたのですが、結局1周目と似たようなペースで(毎週日曜の夕食後に読むのは同じ)読み進めています。
なので、読んでいる最中だから思い浮かんだこと自体は荒唐無稽ではないのですが、なんというか、わりと真剣に頭が回っていたはずの連想の結果としては驚きを感じたのでした。

イメージの説明をあまり言葉にしたくはないのでさらりと書けば、思想として、つまり与件的状況に対する振る舞い方の基盤として、荒巻素子が一つの理想かもしれない、とその時に思いました。


…「有言実行」とは本当によく言ったもので、↓を書いた時は文章の流れというか「指がすべって」書いたようなものだったんですが、どうやら現実味を帯びてきました。
今は会社の同僚N氏に借りてるんですが、この2周目を読み終えたら自分で買いなおすことにしましょう。
もちろん新品で。

マンガの1コマ1コマを脳内で動画に変換しながら読むとほんとにページが進まなくて、
いやそれはいいんですがGHOST LINEの説明を自分なりにすると…
いや、すみませんこれは無謀だと今気付いたので諦めますが、
(読んでない人には伝わらないですよね、すみません…いつかこの本のレビューに挑戦しましょう

首凝り族の生活、GHOST LINE、リアル盤古幡 - ユルい井戸コアラ鳩詣 2016/2/15