human in book bouquet

本格的に本と関わっていきます。

日本人における自然について

前の記事↓と繋がっている話ではあります。
cheechoff.hatenadiary.jp

Veloceで読みながらメモしたことに、ちょっと加えて載せました。
筋を追って書けないのは力量不足です。

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日本人の造園術について。

自然を人工的に秩序立たしめるためには、自然を看護することによってかえって自然を内から従わしめる雑草を、あるいは一般に遮るもの、むだなるものを取り除くことによって、自然はそれ自身のまとまりをあらわにする。かくて人[日本人]は無秩序な荒れた自然のうちに自然の純粋な姿を探り求めた。そうしてそれを庭園において再現したのである。
「第四章 芸術の風土的性格」p.226(和辻哲郎『風土』岩波文庫

里山、「手入れの文化(@養老孟司)」。
これは人における身体も一緒。

人において「内から従わしめる」とは?
身体自らが調和を保つ手助けを脳がする

これは「脳が身体に従う」ではない(なぜなら僕らは人間なのだから)。
里山は「僕(ら)身体の一部」であり、僕(ら)の身体は「自然の一部」でもある。

人工を加えない種々の形の自然石、大小の種々の植物、水、──これらはすべてできるだけ規則正しい配列を避けつつしかも一分の隙もない布置においてまとめられようとする。(…)磯辺とか川の岸とか池の渚などにおいて自然がまれにまた部分的に示している美しい姿を模範として、これを総合して一つの美しい全体に、しかも人工的の印象を与えない全体に、まとめ上げるのである。だから優れた池の庭は、決して一目ではその全体の形を捕えしめず、いかなる方向からながめても常にそこに新しいまとまりのある姿を感ぜしめるように、無限に複雑な面を具えたものとして作られている。
同上 p.227-228

自然を「自然のまま」抽象する!
あるいは、それが具象された時に様々な自然が現れるように抽象する。

Q.
「自然-人工」の対と、「抽象-具体」の対の関係は?

A1.
自然とは、
形を有するものとして「具体」でありながら、
無限の意味の源として「抽象」である、
すなわち(人間にとって)自然とは「両極」である
→人工とは「中庸(化)」なのでは?

また樹木にしても種々なる性質形状を持ったものの取り合わせがここでは重大であり、従って四季の変化を通じての色彩のまとまりが作り出されねばならぬ。比較的に変化の振幅の少ない常緑樹とそれの大きい落葉樹と、──その落葉樹も新緑の色に濃淡遅速があり紅葉の色に薄い黄色から深紅までの開きがある。(…)これらの種々の樹をそれぞれの一にそれぞれの大いさに布置し、季節の移り変わりに従って移り変わりつつ調和を保つまとまりを作り出し得なければ、優れた庭とはならない。これらをも人は自然のままなる山野のある個所に偶然現れている調和を模範としそれを偶然ならざる全体にまとめるのである。
同上 p.228

通時的な彩り(変化)と、
共時的な彩り(多様性)とが両立している

動的平衡
エントロピー一定?

生は死を内包する?
あるいは、
死は生を内包する?