human in book bouquet

本格的に本と関わっていきます。

持て余す読書経験について(永沢哲『野生の哲学 野口晴哉の生命宇宙』)

本日『野生の哲学 野口晴哉の生命宇宙』(永沢哲)を読了しました。
「土曜の半日Veloce」が6日分で、概算で30時間くらいでしょうか。

野生の哲学―野口晴哉の生命宇宙 (ちくま文庫)

野生の哲学―野口晴哉の生命宇宙 (ちくま文庫)

一体何を書けばよいのか…

いや、書きたい具体的なことがあるわけではありません。
読んでいる間は、内容に引き込まれて色々と想像したり、ぐいぐい線を引いたり印をつけたり、ある所で急に涙がぽろりと出てきたり、とにかく「今すごい体験をしている」という感覚があって、
でも(毎週1章分くらい読んでから)家に帰って、いつも他の本に対してやっているように想像を刺激された内容について何か書こうと思って本を開いても、「今(その内容に関して)書こうと思っていること」が「その内容」に押し潰されてしまいそうな感じがして手が止まるのです。

いや、もう少し正確に言えば、「そんなことを書いている場合じゃない」、あるいは「それを書くと、”本当に書きたい(考えたい)こと”から離れていくぞ」という声ならぬ声が、普段の僕の連想思考の解放を拒んでいる。


いや、書きたいことが何もないなら、何も書く必要はないのです。
僕がこの本から得た、いや、この本を読んでいる間に頭の中を駆け巡ったこと、「とてつもなく大きなこと」をそのままにしておけなくて、でも、「ではどうすればよいのか」が全く見当もつかない。

そしてこの本について、僕の言葉で何かを語ることはできるはずで、でもそうすることが、”可能性”を矮小化することにしかならないことが分かり切っている。


…そうだ、総括しようなどと思っているから、書くことを恐れているのだ。
本読みは時に、いや読書記録などつけていれば尚更、読書を「ノルマ」と捉えてしまうことがあります。
この本は読んだ、次はあの本だ。
新しい本を手に取るにおいて頭の切り替えが要求されますが、それは未練を断ち切ることでもあり、総括はその未練を断ち切る作業として一定の効果があります。
ただ、総括が「読了時点の思考状態(例えば小説なら物語の解釈、評論なら自分の価値観と共鳴した内容やその質など))を記憶に定着させること」になってはいけない。
もちろん、定着させようという意識があっても、意識より下に沈んだ記憶は勝手に形を変え、他の記憶や経験と予測不可能に組み変わっていくでしょう。

ただ…

+*+*+*

うーん、なんかダメですね、やはり何かを恐れています。

今後、生活の中で(読書中も含まれます)この本の内容を連想した時に、(連想元をメインとすれば)サブとしてご登場願う形がよいように思います。

また、野口晴哉の本も今後手に入れば、読書スケジュールを勘案しつつ(というのも基本的には同じジャンルが連続しないようにバラけた併読を心掛けているのです。前に「高一読書追想シリーズ」を企画した時は心理学の本を4冊続けて読んだのが数少ない例外です)どんどん読もうと思っています。
既に『風邪の効用』は手元にあります。


そういえばこの本を読んで「野口晴哉記念館に行きたい!(そして氏が生前愛用していた椅子に座ってみたい)」と思って場所を調べたんですが、電車の駅から無茶苦茶遠い…車がないと行けないですね。
というわけで、こちらに関してはなにかの「縁」を待つことにします。


うーん、なんとも煮え切らない記事ですね。
生煮えですね。

あ、未熟、か。
ハードボイルドは遠いなあ…。