human in book bouquet

本格的に本と関わっていきます。

光・風・波の干渉と骨の意思について

思い返すと、今年新品で買った本はこのマンガだけかもしれません。

宝石の国(2) (アフタヌーンKC)

宝石の国(2) (アフタヌーンKC)

前にこの本について(内容には一切触れていませんが)書いた↓ことがありました。

cheechoff.hatenadiary.jp

宝石の国』(市川春子)を読み始めたのがこの1年前の記事より前のはずで、
ずっと読み続けている印象なんですが今どこかと言えばまだ2巻の途中で、
遅読もいいとこだなあと思いますがそもそもマンガは日曜にしか読みません。
 (という習慣を作ったというだけのことですが、最近はまたちょっと変わって、
 会社の同僚N氏に以前借りた『赤目姫の潮解』(森博嗣)が難解だという話を彼としていて
 「SFあんま読んだことなくて」という弱気な僕に勉強用(?)に貸してくれた
 『攻殻機動隊』(士郎正宗)がドンピシャで面白くて(さすがエスパーN氏)、
 枠外にちまちま解説とかあって濃密な3冊(1、2、1.5巻)を独身寮を出るまでに
 返さないといけないので土曜の夕食後にはこれを毎週読んでいます。逸れた話が長い…)
先を読むのがもったいなくて、1章ずつ読んでは戻ったり、
違うマンガをしばらく読んで戻ってきてはまた何章か前から読んだりを繰り返していました。

で、たしか今年のどこかで(…調べると6月末)2巻を買って、またちびちび読み始めたのですが、
今日また1章進んだところで思うところがいくつかありました。

+*+*+*

軽い方から…『時代の風音』の中で、宮崎アニメについて司馬遼太郎氏が「風の描写がいい」と話していました。
たとえばスカートが風に吹かれてフワフワする場面(僕の記憶だと、『天空の白ラピュタ』でシータが空から落ちてくる場面とか、あるいは『魔女の宅急便』でキキがほうきにまたがって飛ぶ場面とか)で動きがすごく細やかに描かれている、静画で飛んでいる場面を描いてもあんな質感は出せなくて、アニメだから、いや宮崎アニメだからこそ云々という話で…
もちろん静画の連続変化であるアニメには(眼に見える描写という意味では)敵わないわけですが、マンガにも1枚の絵で動きを表現することができる、ちゃんといえば読み手の「動き(についての想像)を喚起する」力があります。

宝石の国』はマンガでは珍しく何度も読み返しているので改めて気付くことが多いのですが、
このマンガの特徴は「動きの喚起」が「光・風・波」の相乗的な描写によってなされている点です
「風」は視界一面に広がる草原がなびくさま、「波」は水面の波紋や水中の波動が伝達するさま、そして陽光としての「光」が草原にも海にも降り注ぐ、と言えば想像に難くありません。

が、何と言っても「光」の描写の最たるものは、登場人物?の彼女ら(彼ら?)が「宝石」であることです。
彼女らの全身が宝石であることで、それでいて髪の毛?がサラサラしているのが何がどうなっているのか分かりませんが、このマンガの全体が(比喩でなく)キラキラと輝いています。
アニメにはできない(してもマンガに負ける)だろうなと思う理由はここにあって、このキラキラは読み手が脳内で想像するしかなくて、けれどそれを想像させてくれるだけの描写がここにあるのです。

セリフが少なくて(少ない場面が多くて)、無機的でスッキリして見える絵なのでするする読み飛ばすことができるのですが、一つの絵をじっと見ると、あるいは連なるいくつかのコマを何度もゆっくり流れるように読むと、反射光や透過光のひろがり、明暗の移り変わりなどが非常に繊細に描かれていることに気付きます。
そして光が繊細に描かれるコマによって、モノトーンに近いコマの(読み手がどう想像するか、についての)光の在り方も生きてきます。

(いつの間にか書評調に…)

+*+*+*

軽いとか前置きしながら気楽に書けると思うと色々思いついてしまうのは(面白いからいいのですが、思い通りに事を運べないという意味では)悪いクセで、本題が上より長くなるかと思うとくらくらするので簡単に(つまり飛躍たっぷりに)書きます。

今日読んだところで「なんだか他人事に思えない」という思い付きをしてしまって、まあこのこと自体を掘り下げるには思考が全く足りないので周辺から攻めますが…
内容についてはあまり書きたくない(ぜひ読んで確かめて下さい)のでやっぱり飛躍というか分かりにくい書き方になるのですが、1巻がわりとおとぼけというか若干シリアス混じった基本能天気みたいなノリに思えたのですが、2巻からはノリはそのままだがテーマ的に(つまり僕の読みとしてですが)哲学的になってきたのでした。

唐突ですが(まあ読めばわかるのですが)人間を肉・骨・魂の三要素に分けた時に、魂というのはまあ心だとして、例えば心身二元論と言えばここでは「魂」と「肉」の対立なわけです。
僕の読書経験も、脳は身体と対立していて同じ一人の人間に含まれながら互いに別の意思を持ち別々のことを考えている(身体も「考える」のです)ことを理解させてくれるし、そういう考え方を生活に取り入れて続けていると実感もできているという認識があります。
というわけで僕にとって「肉」(身体)と「魂」(心、精神…まあ近いところで脳としましょう)は思考対象として身近なのですが、ここの最初に書いた三要素を言われた時に、「骨とは何ぞや?」と想像がつかず、むくむくと興味が湧いてきたのでした。

自分が「肉」や「魂」について考えているようなものとして「骨」を考えることができるのか?

「肉」の意思、「魂」の意思はなんとなく実感できる、では「骨」の意思とは?



…筋肉痛と関節痛の違いがヒントになるかな?(たぶんジョークでしょう)

また何か思いつけば続きを書きます。