human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

変化のこと(11)- 習慣を必然と感じること

まえおきのまえおき

朝食を平日がグラノーラ&ヨーグルト、休日がミューズリー&ヨーグルトと習慣付けてから1年ちょっとが過ぎました。
事の発端(なぜ思いついたのか)は忘れましたが、初期の記録をブログに書いていたのでリンクを貼ります。cheechoff.hatenadiary.jp
cheechoff.hatenadiary.jp

毎日がほぼ同じ朝食(シリアル系?上位概念は何だろう…)で飽きないのかと言われれば、まあこの1年の実験結果として「飽きなかった」と言えるでしょう。

(とはいえちょっとしたことで飽きる可能性は十分あって、話は逸れますが土曜の昼食は最近までの一年半くらいはずっと「ニラレバ炒め定食+ご飯大盛り」を飽きずに食べていたのですが、今夏の暑さにやられたか「ご飯もの」の喉が通りにくいと思いついた途端に「担々麺大盛り+餃子三個」に変わりました。昼・夜はずっと毎日白米・玄米を食べているので土曜の昼に限った話ではなく、要は単なる気分だという話なんですが…夏の担々麺はいいですね、元気出ますね。体重が(軽い方で)気になるので汁は最後の一滴まで飲みます)

どうも僕は朝食、夕食とも基本は2種類で回せるようで(昼が社食で日替わり定食なのでバリエーション欲求はそこで満足されているのでしょう)、本記事は朝食の話で、では朝食の2種類はどう分けているかといえば上のリンクに書いた通りトッピング(ジャム&きな粉)によってです。

きな粉はちょっと前から輸入食品店などに行って選択肢が増えており、初期はふつうのきな粉か黒豆きな粉くらいしかなかったのですが(リンク先に書いた「はったい粉」はイマイチで途中で止めてしまいました。業務スーパーで安いのを買ったせいかもしれませんが、味が「烏龍茶」なのです)、増えた分としてはウコン入りきな粉、うぐいす粉(緑色の粉です。なんかの葉っぱかな)、紫芋粉、などがあります。

まえおき

そしてジャムのバリエーションなんですが、なるべく被らないようにスーパーで選んでいくうちだんだん際どいものになっていくのですが、今のところ(はったい粉のように中断してしまうような)失敗はありません。

際どいの意味はいくつかあるのですが、そもそもグラノーラやミルクと合わなそうなもの(「生姜ジャム」がかなり際どいと思ったのですが、これは思ったよりは丸く収まってくれました。個性が強くて味が本体から分離気味でしたが)のほかに、僕自身が苦手なものがあります。

そのひとつが今使い終わりそうなレモンジャムで、僕はレモンは嫌いではないのですが柑橘類を食べると顔が火照る傾向があり(冬にコタツでみかんを食べると頭から汗が噴き出ます)、食べるのに「勢い」がいるので毎朝食べるのも疲れるかなと思っていたのですが、習慣という必然によってレモンジャム(Lemon Curdと書いてあります)を使ってみると何のことはない、全然平気でした。

好き嫌いは頭で考えてるだけなんだなあとあらためて思い、そしてこの経験によってさらに「開拓」がなされたのでした。

やっと本題

毎日夕食後にフルーツを食べていて、それは社会人になってからは一年中リンゴでした。
たんに実家でよく食べていたからという以上の理由はないのですが、やはり習慣とは恐ろしいもので、まあ好きは好きですが季節も何も関係なく一年中リンゴです。
3年目くらいに皮も食べるようになったのですが(ふと「そういえばリンゴ狩りとかでそのままガブッといくよな」と思ったのが発端です)、それは別の話で今年の夏前まではずーっと、ひたすらリンゴでした。

それが夏前のある土曜のスーパーにて、リンゴのあまりの小ささと値段の高さにふと疑念を抱いてしまったのでした。
もちろん旬でなければ果実は小さく、流通量も少ないせいで値段が高いのは当然ですが、なにか…その時の感覚を思い返してもよく分かりませんが「これではいけない」と思いました。
季節ごとに旬のものを食べることは季節の移り変わりを感じるうえで良いと感じたのか、あるいは学生時代の吝嗇がふと顔を出したのかもしれません。

で、その時は「もっと安くてもっと大きい果物」を探しまわり(やはり吝嗇か…)、オレンジを見つけてしばし立ち止まり、たぶんレモンジャムのことを思ったはずで、「まあ、いいか」と手に取りました。
ただこれまでのリンゴと同じように「毎日オレンジ」はいきなりはきつかろうと思って、バナナやキウイなど色々試すようになりました。

こんな経緯があって、今まで自分で買ったことは一度もなかったオレンジ、キウイ、そしてつい先週はパイナップルを買うことになりました。
(パイナップルはジュースは好きなのに果実にあまり手を出さなかったのは果肉の繊維らしきものがよく歯の隙間に挟まるからなんですが、「リンゴでない何かを探す」というきっかけがあったからこそ手に取ったのだと思います)
キウイもパイナップルも輪切りにされたものしか見たことがなかったので、自分で切り開いたり、あるいは皮を剥いだところにかぶりついたりすると「へえ!」という感動がありました。

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上で「習慣という必然」という表現を使いましたが、僕はこれが生活の芯になるということを、変なものを含め色んな習慣付けを試す中で実感し続けています
行動が習慣化するとは、(常軌を逸しない範囲で)その内容に関係なく、「身体が当たり前だと思ってやること」です。
この「内容に関係なく」という点が重要で、これが身に染みていれば、色んな場面で寛容になれるだろうと思っています。

話がぶっ飛んで聞こえるかもしれませんが、
これは「自分の個性を認めつつ、他人の個性も認める姿勢」に繋がります。

思念先行で実践が全く不足していますが、
他人と一緒に生活する時にこの姿勢が活かせれば嬉しいです。