human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

冷蔵庫の音

『キッチン』(吉本ばなな)をかつての同僚M氏に借りて読んだ時に書きました。

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2012/05/06 00:49
ふと思いついて台所で本を読んでみた。
正座をしたくなって、でもテーブルを出してしまい、
リビングでは落ち着いてできないなあと、
あれ、キッチンマットならできそうだなあと思ったのだ。

冷蔵庫の音が、あまり気にならなかった。
むしろ良い環境音となって落ち着きをもたらしてくれた。
昔は冷蔵庫の発するブーンという音を嫌っていた。
機械的な、無機質な、雑音として。

しかし雑音も音楽とともに、環境音になる。
無音を嫌う人間にとって、どちらもありがたい存在。
無音では落ち着きをなくし、思考が散漫になる。
思考が気を落ち着けることを第一の目的としてしまう。

落ち着くことは思考を行う前提だ。
落ち着くためにする思考は、本来の思考ではない。
生活のなかの思考が、生活の他要素の手段に堕すること。
思考を生きる糧とする人間がまず避けねばならない事態。

それに、思い入れが一つできたこともある。
冷蔵庫のそばでやっと心が落ち着く人間。
その人と一時期を過ごした僕が、今の僕だ。
その人はまた僕と同じように時を過ごした人とも繋がる。

聞くともなく聞き、聞くことを意識しなくなる。
単調なリズムは生命を感じさせる。
いまそれを単調と呼ばせるのは頭の考えであって、
身体はそのままであって、言葉を費やす必要がない。

生命のリズムに包まれると落ち着くのだ。
自己と他者という区別をどうしてもしてしまう人間は、
自分の鼓動よりも冷蔵庫の駆動音に落ち着きを感じる。
そして想像力が、冷蔵庫を媒介者に仕立てる。

またどこかで、M氏に伝えてみよう。

2012/05/06 01:02

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冷蔵庫の音でもう一つ思い出すのが『はちみつとクローバー』(羽海野チカ)。
芸大生の竹本くんは寮部屋の冷蔵庫の「ブーーン」という音にある象徴を感じます。
卒業制作(だったかな?)の行き詰まりと空っぽの冷蔵庫とが、リンクする。
「一度も振り返らずに北へ漕ぐと…」小さい頃の自転車の記憶がよみがえる。

竹本くんはママチャリで日本最北端へ向かい、僕はGJ2でその後を追ったのでした。