human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

無題3

 目の前では鯵が開かれ、顔を上げれば窓の向こうに空が開けている。

「明日の全体朝礼、なくなってんな」
「社長も出張でお疲れなんと違う?」
 鯵の開きを「さらに開く」取り組みは食べるごとに改善されている。焼きサンマや鰊の煮付けみたいに骨がまるごと取れないのは身が硬くて中までパサパサしているからで、骨だけ取り除こうとすると上手くいかない。
「でも役員会議は朝一からやるんやて」
「うーん、そっちは趣味なんやろ」
「せやなあ、社長は仕事が趣味で趣味が仕事やもんな」
「うーん、ようわからんけど」
 骨とその近辺の身を残して周りの身を除いていけば、骨の原型を留めたまま食べ進めることができる。次の課題は「その近辺の身」をいかに取り除くか、だ。
「トップ会談どうやったんやろ。あっちも銀行が厳しい言うてるみたいやし、難しいやろな」
「うーん、仕事また増えるんかな」
 食堂では毎日同じメンツで食べる。それが飽きるという人はたぶん会社にはいなくて、そのことはテーブルの周りを見渡せば確認できる。もちろん見渡したことはない。まず興味がないし、それどころではないのだ。特に定食で魚が出る日は。
「ところで、あんた資格の勉強もうせえへんの?」
「うーん」
 僕は相槌を打ちながら食べることができない。つまり舌鼓を打っているわけで、二丁拳銃はお行儀が悪いということだ。ただ状況に流される人間でもあって、話がくれば返事をするし、自分の話になると考え込んで動きが止まってしまう。
「もう勉強できる頭やなくなってるんよね。記憶力使わんから。大学…いや、高校ん時やったら資格とれたかもしれんなあ」
「はは、なんや人生下り坂やな」
「んー、まあ勉強するって意味ではね」
「まあせやね」
 魚を食べていなければまともに返すところだが、幸い「その近辺の身」と右手で格闘中だったので(左は常に茶碗を手放さない。左手で骨を支えるのは手が汚れるという以上に負けた気がするのだ)、何の気なしに流せた。「お前の”人生上り坂”はなんやねん?『資格王に、俺はなる!』ってか?」なんて言っても通じないし、というか話に乗ったと思われて余計に面倒臭いだけだ。「打てば響く」ように見えて実のところ「打っても響かないけどやかましい」人は打たないに限るのだけど、さわってもさわらないでもたたられるとくればもう腹を括るしかない。
 食事中くらいは腹を緩めたいのだけど…もちろん下の方ではなく。