human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

無題1

 ここの信号は短い。
 川沿いを少し歩いてきて橋を渡る前から、赤だった信号はもう青になっている。どうせ二度渡るのでどちらでもよいのだが、どうせなら川沿いで待ちたいと思い、少し歩を緩める。横断歩道を一度渡って立ち止まり、低い所を流れる川を真下に眺める。浅い川は川底の岩を反映して、滑らかに隆起しながら流れている。日光を小粒に反射して揺らめいている。
 目は熱心に川を見下ろしていても耳は交差点に向けられていて、エンジンの始動音がしたかなと思って振り返ると目の前の信号は青になっている。2つ目の横断歩道を渡ってからの右に広がる田んぼをの方を向きながら、対向右折車への警戒も怠らない。もちろん自分の前で止まらない右折車は未だ皆無だが(あればこの文章は存在しない)、身に迫る動(く)物に怯えるのは動物の一種たる人間のさだめである。

 よく知らないが休耕期というのか、田んぼに水はなく、枯れ草の隙間から雑草が精力的に顔を出している。自分の目が悪いのと雑草の葉が小さいのとで、歩きながら雑草の連なりをじっくり見ていると飛行機から緑地帯を俯瞰しているような感覚がある。目を上げれば近くに建物がないゆえ空が近く、そして高い。地上から遠く、空からも遠いここで、着実に一歩を踏みしめているようで、なんだかぽつんとしている。
 田んぼは少し掘られた低い位置にあって、田んぼの隅っこが歩道の陰になっていて、つまりその陰の部分だけ雑草の植生が違っている。壁を介してすぐそばを用水が流れているせいかもしれないし、トラクタが隅っこは通れなくてそこだけ土を混ぜ返さなかったせいかもしれない。いずれにせよ、この違いは雑草が繁茂していけば埋もれていくのだろう。いや、その前に土が耕されるのだろうか。
 スズメは集団で水のない田んぼに降り立ち、なにかをついばんでいる。動いていなければ乾いた土とほとんど見分けがつかない。数羽のハクセキレイは歩道のブロックの上で尾っぽをひよひよと振っている。自分が近いと思うより手前で身軽に飛び立ち、サインカーブを描いて田んぼの中ほどに着地する。羽ばたくごとにピピッと鳴くのは、羽の神経と声帯が連動しているのだろうか。たまに鳴かずに羽ばたくのを見かけるが、ということは鳴く方が自然なのだ。人間でいえば「よいしょ」とかいう、かけ声のようなものだ。持て余すほどの身の軽さに見えて、そのじつ本当に持て余しているのかもしれない。