「飛ぶ言葉」を意識します。
自他の境界を、内側から曖昧にする試み。
外の会話が、内で為されていると見なす。
外の会話として聴けば、反応してしまう。
内で為すとは、自ら思考すると同じ状態。
それは、外の会話の主体になりきることでもある。
初詣の神社で「人に乗り移っていた」ことと同じ。
前提は、足りないことではなく、余分にあること。
人が発する言葉に全的な個性を信じられれば可能。
自分が為す行動の効率のみ考える必要はない。
それに囚われれば、結局は効率も損なわれる。
自他の境界を薄めるマルチタスク実行モード。
ワーキングメモリの一部は外部制御に委ねる。
この自分の広がりはきっと面白い。
拡散する意識は状況に要請される。
その時身体は困るのか、踊るのか。
もしかして首凝りが治ったりして。
「実験」の話です。