human in book bouquet

本格的に本と関わっていきます。

マンガ、ウィスキ、パン、歩く、食べる

毎週同じことをしているはずで、時々ズレが生じます。

今日はBookOffで出物があり、マンガを2冊買いました。
長らく棚に不在だった『蟲師』(漆原友紀)の5巻と、
先週は半額棚で見たのに今日は108円棚に移っていた『恋に鳴る』(山名沢湖)。
後者はいつもより短めの短編集で、短い分だけ行間があり、不思議な読後感がある。

いや、マンガだから「コマ間」でしょうか。こまま? こまあい?(「幕間」的な)

蟲師』は隔週で1話ずつ読み進めていて、今は3巻の中頃です。
ということは去年の暮れから読み始めたのかな…まったりスローペースです。
一つの思想が各話に通底していて、それでいて各話の結びに彩りがある。
その「紙一重」の感覚がとても好きで、きっとそれは「境界の話」だからです。

両者とも、機会があれば詳しく書いてみたいです。


話を戻しまして、出物に浮かれてBookOffに長居したような気がします。
そしてVeloceで『考えないヒト』(正高信男)の続きを読む。
先週は半分読んだので、今日は残り半分を読んで読了だと意気込んでいました。
そのせいでとっぷり日が暮れるまで居て、しかし時計は見ない。

今日は玄米を駅近のスーパ(イオンかな…)で買うためにリュックで来ていました。
近所のスーパでも売っているのですが、5kgで売っているのはそこだけなのです。
そして玄米を買うついでに麩やウィスキを見ていると有線がふと耳に入る。
音楽が途切れ、「ただ今20時をお知らせしました…」あら、もうそんな時間!

 ちなみに今日イオンで初めて「地ウィスキ」なるものを見つけました。
 ちょうど昨日の農業新聞でそれが流行ってるという記事を読んでいたのでした。
 「エリーとマッサン」の朝ドラの影響らしいです(僕は何も知りませんが…)。
 見つけたのは兵庫県明石市のウィスキで、気が向けば次に飲むのにしようかなと。

 次というのは、ラフロイグの次の余市(ニッカのシングルモルト)が既に手元にある。
 ちょうど今日から余市を飲み始めたのですが、確かに「フローラル」ですね。
 何か果実っぽくて、癖は少なくて最初から抵抗なく飲めます。
 ただ癖がないだけ飽きも早いかも…次は「変なやつ」でもいいかもしれないです。

 今日偶然見つけたシーバスのミズナラとか…これは「変じゃない」かもしれない。

昼ご飯を食べた時間はいつも通り不明ですが、お腹はだいぶ減っている気もする。
5kgの米を担いで50分歩くので腹ごしらえがいるかな。
というわけで駅地下食品街のベーカリでパンを買いました(今年初!)。
古代草(ご大層?)云々の草色のパンと、ほうれん草とツェダーチーズのパン。

パンを買い、帰路に着き、人通りの少なくなった所で歩きながら食べました。
そういえば和歩で歩き食いも初めてで、思った通り、前より平気でした。
前というのは西洋歩きの頃で、上下に弾みながら歩くので歩き食いには向かなかった。
和歩は足のバネをあまり使わずに歩くので弾まず、お腹に優しいというわけです。

そういえば前に「二宮金次郎は歩きながら本を読んだ」という話↓を書いた(のかな?)cheechoff.hatenadiary.jp

で、重いリュックを担いでパンを歩き食いしていて、なんだか旅の感覚が湧いてくる。
すっかり定住民になっていたので、ちょっと「根っこを揺さぶられる」感じがしました。
旅の憧れだけはいつも抱いていますが、行動に移すと…アレな気がします。
アレというのもアレですが、まあそこは縁に従うところということで(意味不明)。


で、パンなんですが焼いてから時間がたっていて、けっこう硬かった。
特に硬かったほうれん草パンを食べるのに、10分近くかかったような気がします。
それは噛む必要があったのと、歩きながらだったのでゆっくり噛んでいたからです。
そうやって食べながら、冷えたパンに対する愛着が昔より増したことに気付きました。

昔から「"美味しいものを食べる"ではなく"ものを美味しく食べる"」と思っています。
学生の頃は貧乏性だったので、いくぶん観念的なモットーになっていました。
それが、質素が自分に合っていると思った頃から、実質が備わるようになりました。
食に美味しさを感じるカギは「変化」にあると思っています。

脂ののったゴージャスな肉も、毎日食べるとイヤになる(今の僕は一度でも辛いかも)。
月に一度とか毎年恒例とか、たまに食べるからこそ美味しい。
それは普段の食事からの変化が、その時の食事に表れるからです。
同じことは、一度の食事の間にも起こります。

つい先日社食で、メイン皿と小鉢でキャベツが被ってしまったことがありました。
草を食べたがる僕はよく小鉢にサラダを選びます。
またメイン皿はだいたい肉か魚の二種類があり、肉には副菜でキャベツが盛ってある。
肉を食べる時は小鉢は別の物を選ぶのですが、たまに失念して被らせてしまいます。

キャベツは嫌いではないですが、2つの皿のキャベツを平らげるのはつらかったです。
そのせいかは不明ですが、午後の途中で腹痛がありました(あれ、メンタル弱い?)。
言いたかったのは、一度の食事の中にも変化は必要だということです。
品目の多さで変化を作るのが普通ですが、一品においても変化を味わうことはできる。

パンの話に戻りますが、焼きたてのパンはあったかくて、最初から美味しい。
一方で時間の経ったパンは硬くて、最初は主に食感のせいで味はイマイチです。
が、パン屋さんのパンはなおさらそうですが、元々の美味しさが凝縮されているのです。
硬いパンを噛んで噛んでやわらかくしていくうちに、だんだん美味しさが滲み出てくる。

これを「一度の食事の中の、一品の味の変化」と考えてもよいと思います。
すると場合によっては、焼きたてよりも冷えたパンを美味しく感じることもあり得る。
どういう状況で誰と食べるか、など食物以外の要素も影響してきます。
上の僕のモットーは、この「食物以外の要素」に対する興味の表れでもあります。


何の話をしていたのかな…
まあ、時間を気にしないで行動すると色んな予定外に遭遇するということですね。
とはいえ、習慣は習慣であって、予定ではないという考え方でいたいです。
つまり「行動の具体的な内容に縛られない習慣」という次数を繰り上げた習慣です。


これは脳の身体への歩み寄りか、身体の抽象性への接近か、どちらでしょうね。