human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

「踏みとどまる人びと」のこと

平日の朝食時は内田樹氏のブログを印刷したものを読んでいます。
朝は比較的仕事に近いので、夜に本を読む時とは頭の回り方が異なります。
けれど、仕事に近いだけ、会社の出来事(要素)とリンクしやすい。
のですが、今朝(3/25)読んだ部分は「夜型」の連想を呼び起こしました。

制度が、立ち上がったときの鮮度を失い、劣化し、あちこちで崩れ始めているとき、私たちは「閉塞感」を覚える。そこにはもう「生き生きとしたもの」が感じられないからだ。(…)一番スマートな人たちは、そろそろ店を畳んで、溜め込んだ個人資産を無傷で持ち出して、「日本ではないところ」に逃げる用意を始めている。(…)彼らはシステムが瓦解する場には居合わせたくないのである。破局的な事態が訪れたあと、損壊を免れたわずかばかりの資源と手元に残っただけの道具を使って、瓦礫から「新しい社会」を再建するというような面倒な仕事を彼らは引き受ける気がない。
だから、私たちがこの先頼りにできるのは、今のところあまりスマートには見えないけれど、いずれ「ひどいこと」が起きたときに、どこにも逃げず、ここに踏みとどまって、ささやかだが、それなりに条理の通った、手触りの優しい場、人間が共同的に生きることのできる場所を手作りしてくれる人々だということになる。私はそう思っている
半分あきらめて生きる (内田樹の研究室)

抜粋元は氏のブログ記事で、ここだけ見てもよく分からないと思います。
この記事は専門雑誌に寄稿したもので、長いですが読みやすいのでご一読をお薦めします。
相変わらず一般論がとても長いですが、「誰も教えてくれない一般論」でもあります。
「考えれば当然だけど"常識"ではない」という状況は、よくよく考えてみれば不思議です。


上記抜粋の下線部を読んだ時に、ぱぱっと数人が頭に浮かびました。
具体的には、その人の著書の内容よりも先に、その人の「人となり」が浮かんだということです。
それから「こういうことを書いてたよな…」と思い、各人の著書などを探してみました。
いざ探し当ててその文章を読んでみると、想像していたものと少し異なりました。

この「異なり」の程度は、僕の連想の飛躍の度合いと考えることができます。
ある文章を読んで、その出典や著者を思い出す場合と、この連想とは種類が違います。
後者は、思い出すという言葉通り、もともと存在したリンクを再確認することです。
対して「飛躍した連想」とは、僕に意味を発見されるべく(主観的には初めて)生じたリンクです。

この意味は、連想が飛躍しているほど抽象的となります。
共通点を抽出すべき対称が多岐にわたるほど、その共通点は曖昧になる。
そして、その曖昧の意味は2つあって、1つは普遍的であるということです。
たとえば、とても単純で当たり前で、一言で言い表せてしまうようなこと。

もう1つは、これは先の「普遍的であること」を光とした時に、陰にあたるもので、
それを言葉にする前のものです。
…陰というより「光をあてられるもの」かもしれませんが、
光がなければ存在を認識できないが、光をあてるとその存在が(一面的にしか)見えなくなるもの

一言で言い表せることでも、それを言葉にする前のものは、無限の可能性を秘めています。
逆に言えば、どんなに難解で複雑な文章も、同じ「もの」に繋がることがあり得る。
一つのテーマに対して複数のリンクを生み出す連想とは、
「もの」を多方向から照らしつつ、その陰に目を凝らすことなのかもしれません。

散漫な話になりましたが、「一言では言いたくない」と言いたかっただけです。きっと。

苦労は生きているひとみんなにある。「治る」というのは生きていくうえでの別の苦労に戻ることでしかない。「だから病気を治すとか克服するとかいうことではなくて、人間には生きていく上でいろんな苦労があるよね。どの苦労を選ぶ? そのセンスを重視するのです。『どんな苦労を選びたい?』と問いかけるのです。苦労を避けて通るとか回避するのではなくて、どっちにコロンだって人間苦労だよね、って」(…)「いかに苦労をしないで済むかを追求するのではなく、当たり前の苦労との出会いを大切にする援助もそれ以上に大切である」とも、向谷地さんは言う。彼は、ひとには越えてはならない、克服してはならない苦労や苦悩があるということを、神学者ティリッヒの本から学んだという。病気であることに意味がある、それをみんなで考える、病気になったほうがよかったんだ、と言えるところまで。そして、人間には越えられない苦労があるということを守る装置として、みなで会社を作ったのだという。
「7 べてるの家の試み」p.158-159(鷲田清一『老いの空白』)

交換船に乗る前、フォート・ミードという軍の要塞の収容所に入れられていたとき、ある日、アメリカの中央政府から役人が来て、呼び出された。「交換船が出ることになった。乗るか、乗らないか」。これはとても民主的だと思うんです。最後まで選択ができたんですよ。私はそのときにね、乗るって答えたんです。(…)決断の根拠はとてもぼんやりしているんです。私は、予測として、日本は必ず負けるという、必敗の確信をもっていた。アメリカからくず鉄買って軍艦つくったって、勝てるわけないでしょう。いつとはわからないけど、必ず負ける。しかし、いまになってよくよく考えたら、負けるとき、負ける側にいたいという、ぼんやりした考えなんです
「鼎談 日本交換船の人びと」p.24(鶴見俊輔加藤典洋黒川創『日米交換船』)

Between a high solid wall and a small egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg. Yes, no matter how right the wall may be, how wrong the egg, I will be standing with the egg.
高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。そうです。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です。」


このスピーチが興味深いのは「私は弱いものの味方である。なぜなら弱いものは正しいからだ」と言っていないことである。
たとえ間違っていても私は弱いものの側につく、村上春樹はそう言う。
(…)
村上春樹が語っているのは、「正しさ」についてではなく、人間を蝕む「本態的な弱さ」についてである。
それは政治学の用語や哲学の用語では語ることができない。
物語」だけが、それをかろうじて語ることができる。
弱さは文学だけが扱うことのできる特権的な主題である

そして、村上春樹は間違いなく人間の「本態的な弱さ」を、あらゆる作品で、執拗なまでに書き続けてきた作家である。
壁と卵 (内田樹の研究室)