human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

「渦中の陸」のこと

「案ずるより産むが易し」といいます。
「案ずるより有無を言わせず」(@『あ・じゃ・ぱん』)ではありません。
「あんず酒飲む横山やすし」でもありません(かなり無理あり)。
その後の展開としては「産めばみな子」でしょうか(もはや当たり前)。


案ずる余裕があればこそ、「産むより案ずるは難し」になります。
しかし余裕の有無に関わらず「産むは易し」であったりもします。
案ずるとは評価であり未来予測であり、未来はどうあれやってくるので、
余裕がなければ、行き先は不明ながら、必ずどこかにはたどり着きます。

経過をすっ飛ばした変化は劇的で、その劇的は量であり質でもあります。
が、その量も質も、余裕と自覚を取り戻すと途端に色褪せます。
劇的変化は身体的経験で、身体の高評価に対して脳は冷淡です。
その理由は、それが「脳を蔑ろにすることで劇化した経験」だからです。

概して、身体に裏切られるのは男の方で、裏切られたと思うのも男です。

 その晩、ベルニスが訪ねて来た時、彼女は夫と自分のこの諍(いさかい)のことは何も言わなかった。もとよりこのようなことは、他人に告ぐべきことではない。ただ彼女は、彼に自分たち二人に共通の少年時代の思い出と、遠い外国における彼の生活とを語らせた。なぜかというに、彼女は彼の手に、一人の小娘を委ねて、慰めたかったから、そして人は小娘たちを絵本で慰めるものなのだから
 彼女はこの幼な友達の肩に額をもたせた、ベルニスには、ジュヌヴィエーヴが、自分の肩に完全な隠れ家を見いだしたような気持がした。ともすると、彼女の方でもそう信じたのかもしれなかった。どうやら彼らは、二人とも気付かなかったらしい、人は愛撫の力に支配されている時、ほんのわずかしか己れを賭けないものだと
「南方郵便機」p.174-175(サン=テグジュペリ『夜間飛行』)

「己れを賭ける」のは、「産む」より前の「案ずる」時のことです。
もちろんこれは比喩で、「男の場合」と言ってもいい。

タイトルですが、これは火中の栗のもじりで、上記の文脈でいえば「自覚」です。
まあ、自覚があっても「陸から渦に飛び込む」しか選択肢がなければ詮無いですが。