human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

「平日洋書」のこと

昨日の続きというか、偶然に便乗したセットの話題です。

昨日と同じように「ブルデューの次は…」とやはりりんごをかじりつつ。
で、先の年末年始に実家から持ち帰った数冊は予め目をつけていました。
3冊あって、どれも興味があるのですが、傾向が偏るようにも思えた。
うち『かくれた次元』(E・T・ホール)は矢萩氏の本で何度も参照されていた。

それが実家にあるなんてなんという偶然! と喜んで持ち帰ったのですが、
これはもう少し(と言ってたぶん半年くらい)後のお楽しみとしておきます。
残りの二冊は心理学(脳科学?)系で、読中のピンカー氏著書と傾向が似ている。
というわけでやはり目がちらちら移り巡って、この一冊↓に行き当たりました。

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内田樹氏翻訳の『困難な自由』(エマニュエル・レヴィナス)です。
読書記録によればこの本は2011年の正月に実家から持って帰ったものらしい。
4年経ってようやく日の目を見たということですね。
この本はまず「むちゃくちゃ難解」という認識をどこかで刷り込まれていたのですが…

ウチダ氏著作は今まで数多く読みましたが、ここ数年は手をつけていませんでした。
未読の著書が5冊くらいあって、どれも読み始めれば面白く読めるものばかりです。
それがそうならなかったのは、朝食時に氏のブログを読む習慣を始めてからですね。
朝と夜で同じ傾向の文章を読むのもまあ偏りかな、と避けていたのでした。

ところが、「次の洋書は…」という視点で眺めると、本書がぴたりと来たのでした。
読み始めると、ウチダ氏著書の文体とは全然違って言われないと気付かないくらい。
それもそのはずで、本書の初版は1985年です(原書は1963年。古い…)。
氏が都立大助手の頃で、略歴からして当時はまだ著書をまだ出していない。


上の写真で本書の下に『私家版ユダヤ文化論』を残像みたく置いてみました。
これは氏の著作で、僕は数年前に一度読みました(学生の頃かもしれない)。
二冊あるのは実家から持ち帰った分と自分で買った分ですね。
先に持ち帰ったのを忘れ、BookOffで見つけた時に我を失って買ってしまったような。

何が言いたいかといえば、おそらく下地はできているのでなんとかなるかな、と。
本記事の目的は、レヴィナス本を途中で放り出す可能性を下げるためでもあります。
初日の感触ではブルデューよりは断然読みやすいですが、油断は禁物ですね。
まあブルデュー本の「一日数ページでも最後まで読めた」経験は励みになりそうです。

所々でも想像が届きそうな部分があれば、専門的な記述とも有機的に繋がれるはず。

善を望むなら心の底から望まねばならない。そしてそのときには単に心のナイーブな情動(エラン)のなかで善を望んではならない。情動を保持しつつ断ち切る──ユダヤ的儀礼とはこれである! 悲愴感(パトス)に身を任せない受難=情念(パッション)が意識へと生成するのである!
「Ⅰ 悲愴の彼方」p.12(E・レヴィナス『困難な自由』)

こちらも脳内BGMを少し脳内で探って、出てきたのはロマサガ3の聖王廟のテーマ
初見(?)の雰囲気ですが、あと自分の頭に定着してるのも選んだ理由です。
頭の中で流す経験が少ないと、難しい文章を読むと脳内再生が乱れてしまうのですね。
まあこれは今後変わる余地はあります。まずは本書が習慣として続くかどうか。