human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

現状維持から変化へ(4)完〜そして日常へ

前回↓の続きです。ひとまず区切りにしたいです。

そもそもなんでこんな話を考え始めたかを振り返ると、
『明日は昨日の風が吹く』(橋本治)を読んで何か書きたいと思ったのでした。
本に刺激を受けてはたらいた連想を書き留めるのはいつものことですが、
今回はテーマが大き過ぎて最初の連想からどんどん外れていくことになった。

いや、最初のそれも、他の何かとつながる連想ではなかったかもしれません。
単に「そうそう」と思い、しかしその事の大きさに刺激されたというか。
途中から「身の丈に戻る」話になったのは、スタートが既に遠大だったから。
それをなんとかしようとして体調を崩した…かどうかは分かりませんが。


本ブログで何か問題提起をする時は、それに自分を含めたいと思っています。
「自分のことを書く」という方針なので、自分と無関係な問題は扱わない。
「自分でないものの表現の反映」として自分を表現することはあるのですが、
たとえば自分と無関係な問題に自分を映して、果して何が見えるでしょうか

 自己肥大、というテーマについて僕は関心を持っています。
 以前たしかウチダ氏が「自家用車は自分の部屋の延長だ」と書いていました。
 高速のPAには服に気を遣わない人や騒々しい家族連れが沢山いる。
 「つっかけで近所のコンビニ」と同じ、車のドアが我が家の玄関という感覚。

全然関係ないかもしれませんが、ふとこの話を連想しました。
本来自分と関係のないものに自分を関係付けると、自己が「膨らむ」。
この連載で前に「権力と無縁な全能感」と書きましたが、これは謙遜でもなくて、
他者に害がないこと以外は通常の全能感(=自己肥大)と同じものなのでした。

その、自分が嫌がるものに自分がなっていた、のかもしれません。
「流れ」ができて、それに乗って、気がつけばこうなっていた。
自分が乗る「流れ」を選べるようになったつもりでしたが、うまくいかないものです。
たぶん選べるのでなく、自分の近くでそれを起こさせなくなっただけでしょう。


話を戻しますが、一つ自分の読書方針に適っていたと言えなくはありません。
「一冊一冊を、読み終えた時に自分の何かが変わるように読む」というものです。
ただ、何でもそうですがこれも手段が目的化すると非常に厄介なことになります。
変化に固執すると、変化を規定してしまって最早変化でなくなる、のですね。

体がそうであるように、変化は起こすのではなく起きるものです。

たぶん今回は、最初に到達点があって、それに話を持っていこうとしていた。
到達点の具体的なところは全然分かりませんが、それを「あるもの」として書いた。
その途中でぽろぽろと副産物はありましたが、全体的に苦しかった気がします。
橋本治(的思考)に憑衣しようとして毒気にあてられた…と言えば怒られますかね。

最近の読書傾向が「世を憂う系」に偏っていたせいもあるかもしれません。
朝刊代わりの「内田樹の研究室」(紙媒体)は今は特定秘密保護法の所だし、
夕食時に読む日本農業新聞は(特に社説が)基本的に政府の農業施策を憂いてるし。
最近読了した池澤氏の本も憂うのは一緒ですが、ニュアンスは違っていました。

そのあとがきに「解毒」された感があるので、その抜粋で締めようかと思います。
(毒、毒って言ってますがもちろん非難ではなく、いわば予防接種的ニュアンスです。
 ただ僕はインフルのそれには「負ける」と思って会社ではいつも受けていなくて、
 つまり「毒を盛って毒を制せず」といったところでしょうか。ははは)

ぼくは予言者ではないから滅びる滅びると人を脅しはしないが、そこに至る過程をなるべく具体的に想像するのは仕事の内。その作業を続けると、希望という言葉がどんどん虚ろになってゆくのがわかる。分岐したトンネルの中をさまようようなもので、先の方にかすかに見える出口の光が次々に消える。『楽しい終末』という、この『母なる自然のおっぱい』の次に出した文明論の本はそういう体験をそのまま書いた一冊になった。最後に出口にたどりついて外を見ることはできたけれども、トンネルはそこで狭まっていて身体は外へ出られない。(…)
 その後、この状態から抜け出すのにずいぶん苦労した。正確に言えば抜け出すのではなく、それに慣れるということかもしれない。洞窟の出口で生きる。一応は慣れた顔をした上で、慣れてたまるかと小さな声で自分に言い聞かせる。いずれはここから抜け出してやると思って、策略を練る
「文庫版のあとがき」p.291-292(池澤夏樹『母なる自然のおっぱい』)

ここに書かれた『楽しい終末』は既に手元にあります。
続きとはいえすぐ読もうとは思えませんが(このあとがきは十分「脅し」ですね)。
そしてこの本の先のこととして書いてある「洞窟の出口」を、少し知っている。
たぶん何年か前に読んだ『光の指で触れよ』が、その一つだと思います。

行きつ戻りつですが、それに「振られる」ということは、変化しているということ。

自分のこととするかどうか以前に、まず感じることですね。

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