human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

栄枯盛衰(2011/05/08)

2011/05/08(日) 14:14
店内
 Lブレンドコーヒー  ¥210


●漫画のリアルになった時代
(美男美女しか出ないドラマ)とジブリアニメを見て思う
本来リアルに伴う「不整」「しわ」が丁寧に修正・消去された
アニメで描かれてしか触れることができない
「リアルが描かれたマンガ」がことさら褒め言葉になる理由も今でこそだろう
本来は、マンガが現実にない「想像部分の具現化」を荷うものであったのが、
今は現実が漂白され過ぎて「マンガでリアルを補う」という本末転倒が生じている。
(実際ぜんぶがそう、というワケではないが、「シワ」の存在がマンガの中で
 のみ許される、という価値観はあるだろう)
どうすればよいか…? 「今はそうなっている」という認識だけで、とりあえずは。


●季節の境界をのり越える、あるいは「季節に境界はない」
・「シガツノアメ」(ハナブサキックP)を聴いて、秋のイメージの曲だと思ったが、
 でも「シガツ」、春なのだ。秋のような春。新緑に「枯衰」をみる、…
          →桜だ。文字通りの「葉桜」だ。
・晴天の街並で「Dot Rain」(AVTechNO)を聴いて、「雨が降っている」と思う。
 夏の雨、しゃく熱の雨、都会というジャングル。
+*+*+*
 「場面に合った曲を選ぶ」のではなく、
 「与えられた曲を(に)、今その時いる場面に(を)合せる」
 余力がないときはお互いを近づけられず分離の違和感に苦しむが、
 「今まで溜めてきたno genre曲々のランダム再生」と「確かな歩行」は
 後者達成の助力となってくれる。


 「その操作をして、
  初めて生まれる言葉がある」

誤字やら当て字も、当初レシート裏に書き込んだままを書きました。
ペンで字を書くと、キーボードで打ち込むより「先が分からない」感覚があります。
一文字書きつけるごとに、過去と未来の両方がブレるのです。
「何を書いたの?」と「何を書くの?」がせめぎ合い、宙ぶらりんにされる。

キーボードで文章を書くのが当たり前になった影響もあると思います。
それ以前は…小中高と学校にいる間はもちろん手で書くのが当然でしたが、
「考えてから書く」であって、(意識としては)「書きながら考える」ではなかった。
この「言葉を連ねる感覚」をがらりと変えたのは、内田樹氏の文章だった気がします。

氏はずっと前のブログ*1で、自分が物書きになる経緯について書いていました。
その中の「読みたい本がなかったから自分で書くことにした」といった表現に驚きました。
「なくなったから」かもしれませんが、ともあれ、最初は全く意味不明だと思いました。
自分が書ける話ならもう分かってるはずで、それをなぜ「自分が読むため」に書くのか?

けれど、氏のブログや著書を読み続けているうちに、なるほどと思えるようになりました。
ある考えや意見などは、言葉にする前から確固とした形で頭の中にあるわけではない。
(あるとすれば、文章化されたものをそのまま記憶している場合でしょう)
考えや意見はもやもやとしたもので、それを言語化していく中で言葉として把握していく。

そしてその過程で、出て来たものには元あった(と思われる)ものとのズレが必ず生じる。
「言葉とは、言い足りないか、言い過ぎるか、のいずれかである」。
そのズレをなくそうと、精密に表現を重ねたり、あるいは元を歪めて納得したりする。
この「ズレはなくすもの」という固定観念を、氏の文章は取っ払ってくれたのでした。

ズレを誤差と考え、無くすべく精度を上げる発想は、「元」は固定されたものと前提する。
上の「書きながら考える」はこれと逆の発想で、「元」は書くことでどんどん変質する。
ズレは「なくすもの」ではなく「活かすもの」である。
こう思えたことで、学科としての国語の呪縛(ホントに苦手でした)から解放された。

文章を書くことが純粋に(利得目的なしに)興味深い、と思えるようになったのですね。


さて、メモの内容に触れる前段階で力尽きそうですが…
前半は「実生活で損なわれた身体性を、想像力をきっかけに取り戻す」という話かな。
自分の中だけの話なら、まあ自覚がスタートになるよね、と。
この問題意識は本ブログの「身体論」タグの記事内容に発展している、のだと思います。

後半のテーマは列挙すれば、「ボーカロイド」「脳内BGM」「習慣の力」ですね。
この頃は週末の散歩中に音楽を聴いていたようですが、今は通勤以外は聴きません。
散歩中の場所ごとに、自分が合うと思った曲を頭の中で流せるようになりました。
たとえば、週末に駅前以外を歩く時は「風の通り道」(@となりのトトロ)です。

脳内BGMは耳穴フリーなので、うまくやれば骨伝導ヘッドセットみたいな感じですかね。
使ったことないので想像ですが。


タイトルが浮いてますね。今日書いた分の文章には無関係ですね。はは。

*1:内田樹氏は神戸女学院大で教授をやっていた頃にたしか「クリエイティブライティング」というテーマの講座を開いていたと思います。氏のブログでキーワード検索すれば関連した記事が見つかるかもしれません。