human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

音楽と集中と丹田について

ほぼ毎日、朝と晩に部屋の壁に向かって逆立ちをしています。
肩凝り解消目的で始め、2ヶ月ほどやっていますが継続時間は延びません。
本来の目的の達成如何は経過観察中で、興味が派生してちょこちょこ考えています。
タイトルを「逆立ちについて」にした方がよかったかもですが、とりあえずこの話を。

ふつう手のひらを床につけてするのですが、時々「拳(こぶし)」でやっていました。
指が折れるのではと恐れて最初はびくびくしながらでしたが、やれば案外できます。
二の腕の負担が通常より大きく、あと爪が長いと握り込んだ手のひらに食い込んで痛い。
だから長くは持ちませんが、手首への負担はむしろマシなので時々やるとよい。

と思っていたのですが、最近手の甲の一部が急に荒れ始めました。
人差し指の付け根の骨のところで、炎症を起こして赤くなり、ぶつぶつしている。
見当はついていて、おそらく拳逆立ち時にキッチンマットをクッションにしていたせい。
手の甲が傷ついたのと、マットに雑菌が繁殖(!)しているせいでしょう。

というわけで拳逆立ちはしばらく休止しています。あとマット洗わないと…


で今日の話ですが、さっき逆立ちを、音楽を聴きながらすることを思いつきました。
手持ち無沙汰の偶然とちょっとしたひらめきがここに導いてくれたのですが、
後者は「プレーヤをチャック付きのポケットに入れたら逆立ちしても落ちない」です。
これはまあ、やろうと思えばすぐ思いつくのですが…

いざやってみると、まず耳がトンネルに入ったような遠い感覚になりました。
ちょっと違うかと思いつつ、苦労して唾を飲んでもこの感覚は変わらず。
それはよくて、そして不思議なことに腕の震えがほとんど消えました。
音楽で耳が聞こえないからかな、と最初は思いましたがそんなハズはない。

いつもと同じ体勢にもかかわらず、その効果が顕著なので「なぜ?」と考えます。
腕の震えがないと同時に、前後方向の安定感も増している気がする。
体勢をちょっと変えると、意外と簡単に壁から足を離せるような気もする。
これは音楽によって集中できている(あるいは不安がない)のかな、と思いました。

一本歯で直立不動の姿勢を維持する時にも同じことを感じていました。
無音の方が身体感覚に集中できそうなものですが、これが案外逆だったりする。
つまり無音常態には集中を妨げる雑念が湧く余地があるわけです。
これは単純作業とか、ちょっとした勉強の時によくある話ですね。


あと、最初に書きたかったことですが、丹田を意識すると音楽の聴こえ方が変わります
一本歯でぐらぐらしない静姿勢を維持するのに、丹田を意識すると有効とは前に書いた。
その状態だと、なんだか音楽を聴くのではなく音楽が聴こえるという感じになる。
そして、音楽がゆっくりに感じられるというか「時間性が濃くなる」といえばいいのか。

気付いたことの羅列で脈絡がないですが、丹田と音楽の関係でもう一点あります。
丹田への意識が安定すると、丹田が「前方中空に浮かんでいる」感じがしました。
そして、音楽の基底的な楽器(ベース等)とその丹田が共鳴しているような感じ。
そのときの視線はもちろん、何を見るともなくぼんやりと前に向けている状態です。

さわりというにも漠然とし過ぎですが、また気付けば追加で書きたいと思います。