human in book bouquet

本格的に本と関わっていきます。

「手を支点としたヒンジ運動」について

和歩の話です。

 腕の動きを制御するのも、やさしくはない。製図用ライトの傘をつかみ、斜めに引っ張って左側の低い位置へ、あるいは、右側の上のほうへ動かして、傘が動くときのアームの動きを観察してみよう。傘は斜めの直線にそって動くだけだが、アームの各部分は複雑な弧を描いていることがわかる。同じことが逆にやれるだろうか。傘の動きを見ないまま、アームの各部分を曲げたり回したりして、傘がまっすぐ進むようにするのである。三角法の複雑な数式が必要になるだろう。人間の腕はこのアームによく似ているが、脳は難しい数式をやすやすと解いてみせる。
「運動を制限できる奇跡」p.19(スティーブン・ピンカー『心の仕組み(上)』)

抜粋では、人間が簡単にできることを機械にさせるには大変な一例が示されています。
最後の「脳は難しい数式をやすやすと解いてみせる」という表現はたぶん科学者特有で、
正確には「機械が難しい数式を解いて可能なことを、人は数式を解かなくてもできる」。
人間のメタファとしての機械との親和性を感じてこその短絡(短縮)かと思えます。

という話は抜粋を打ち込んだ時に思いついただけで、本内容に戻りまして…

買い物袋を両手に提げると和歩が安定する、とは前に書きました。
手の振りを歩行姿勢の安定に使わないので、むしろ手を振らない方が安定が増す。
足と同じ側の肩が前に出るので、手がフリーだと振るまいとしても勝手に振れるのです。
それが買い物袋を提げると、手を支点として腕全体がヒンジ運動をするようになる。


今日買い物をした帰りに歩いている途中で、ちょっとした連想がはたらきました。
上の話は今考えて書いたもので、歩いている間は意識していなかったのですが、
まず「買い物袋がやけに静止しているな」と感じました。
これは僕自身は歩いているので、前進する全身(ふふ)に対しての相対的な静止です。

 西洋歩きの時は、買い物袋を提げた時もなんとか手を振って歩こうとしていました。
 重いだけ反動はつくはずだと思い、「いつもの手の振り」をしようとしていた。
 当時のいつもの、とはつまり踏み出す足と反対側の手を前に振る動作のことです。
 これはたいていは体がふらついて上手くいかなかったので、定着しませんでした。

 とはいえ、手(時には肘)に提げた買い物袋はいつもぶらぶらしていたのでした。

それが和歩だと、ほとんど意識せずとも買い物袋を揺らさないで歩けるのです。
買い物袋はビニールなので、慣れると気になりませんが揺れるとガサガサ鳴ります。
もちろんそれには慣れていたので、逆に「買い物袋の静けさ」が気になりました。
そして頭に浮かんできたのが「小学校の掃除で使ったブリキのバケツ」でした。

ブリキバケツとは、あの本体がくすんだ灰色で木の取っ手がついた懐かしいやつです。
掃除の時間(確か一休さんのテーマが…)に水拭きのためにバケツに水を溜めます。
そのバケツを手に提げて運ぶ時に、中の水を揺らさないように注意して運ぶわけです。
当時はバケツの水面を注視しながらヨタヨタと歩いて運んでいたような気がします。

和歩ならいつもの姿勢で楽に運べそうだな…とこれは今書いていて思ったのですが、
ブリキバケツを連想したあとに、本記事の最初の抜粋の話とリンクしたのでした。
手に提げたものを揺らさないで運ぶ動きも、普段人が自覚する以上に複雑ではないか。
抜粋の例でいえば、アームの動きに対して非線形的にライト全体が揺れるような。


というオチで、まあ和歩の動きにおける改善にすぐ結びつく話ではありません。
ただ本記事の連想のきっかけが面白くて、今日はVeloceで年始に届いた年賀状を読み、
小学校の担任だった先生(恩師、というのでしょうか)に返事を書いたのでした。
同じことを習慣で続けていると些細な変化にも応答できる、ということだと思います。