2013/05/14(土)16:35
店内
Lブレンドコーヒー ¥220
子を叱る母を見て。
「水筒」「モノを大事に…」「父親に電話(するわよ)…」
責任感・使命感が内向する(内側に閉じる)
←子供は母の所有物
←言葉(記号)による了解≠コミュニケーション
・形式を実質によみかえる
→当人の中では形式が実質となる。
脳内の出来事・頭で考えていること
…無時間モデル(時間に対し不変)
・現実を理想(空想)に従わせる
⇔理想に合わない現実をなかったことにする(見ない/目に入らない)
↓なぜそれが可能か?
_______という習慣(惰性)の力 とか、それが日常そのもの
近くに不気味なほど喧しい母とその娘が座っていたのだと思います。他は記憶なし。
メモの最後のひとかたまりについて、今書きながら思うところがあります。
わずかに残っている不気味というイメージの中身は、母親のあるアンバランスさです。
これは「外部からの入力を選択的にシャットアウトする(できる)人」の一例でもあります。
『VIVO!』(瀬川藤子)には、絵描きの高校生の蓮田くんというのが登場する。
彼の絵の才能は周囲の過剰な期待を招き、大人は彼の方向性に頻りに介入してくる。
フラストレーションが頂点に達した時、展覧会で賞を取った絵を皆の前で(無表情で)破り捨てる。
それからは「自分には関係ない」と思った人の言葉を遮断できるようになった。
その蓮田くんは「常識は皆無なのに含蓄は分かる」というスーパーキャラだったりしますが…
少し違う例では、内田樹氏のブログに「知らない単語を選択的に読み飛ばす学生」の話がある。
普通は分からない単語に遭遇すれば文脈などをもとに意味を推測します。
ところがその学生は、そんな単語は目に入らなかったかのようにするりと読み飛ばせる。
特定の一人の学生の話ではなかったかもしれません。
いずれにせよ、そのような人間の来歴について想像をかき立てられるケースではあります。
…と思えるのは、必要に迫られた(死活的状況に置かれた)経験のある人だけかもしれませんが。
極めて不可解な人間と一つ屋根の下に閉じ込められると、その人間の解釈が死活問題となる。
そして生き抜くために「常ならぬ解釈力」を身に付けた人間が不可解になることも、ままある。
これをして「ミイラ取りがミイラ」と言わずに何と表現できようか(詠嘆)。
あるいは「怪物狩りが怪物親」とか。 あ、座布団、ちょ…
(この記事は果してマンガ紹介になるのだろうか? と思いながらリンクを張ってみます)
VIVO! 1 (マッグガーデンコミックス アヴァルスシリーズ)
- 作者: 瀬川藤子
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