和歩の話です。なにやら進化を遂げたようなので、その経過報告です。
先週の半ばに、会社から出ようと廊下を歩いていて唐突に閃きました。
閃いたのは(その主語は)頭ではなく、身体でした。
実は通勤でも会社内でも和歩は目立たないように実践しているのです。
具体的には、同じ側の腕と脚を一緒に動かすので、腕をあまり振らないように。
ところで、僕は道端では前に歩くのが遅い人がいると平気で追い抜きます。
あるいは相手がそれほど遅くない場合は、敢えて別の道にしたりします。
自分がイヤだからなのか、人のすぐ後ろを歩くのはなんだか憚られるのです。
外ではそうなのですが、会社の中ではそうはいきません。
会社は体が躍動する場所ではなく、必要上のことですが体を抑圧する場所だからです。
(まあよほど遅い人が前にいれば通常の歩調でするりと抜くことはありますが)
というわけで社内の廊下では大体、前を歩く人に歩調を合わせることになる。
ただ、ペースを落としてもダラダラ歩きたくはない、という思いはある。
話はズレますが、僕は社内で上履きの踵を踏ん付けて歩く人は敬遠しています。
踵を地面に引きずって歩く姿に、気持ち良さは微塵も感じられない。
悪い人間でなくとも、身体的な波長は合わないだろうなと決めてかかっている。
自分も中高生の頃はこれ見よがしにパタパタやっていましたが、それは昔のこと。
で、なんというか、緊張感はそのままに歩調を落とす工夫をすることになります。
このことは今初めて言語化することで、がしかし、これは一つの布石です。
今回の閃きの素地を作ったとは思いますが、閃いた時は前に誰もいませんでした。
事務室から同階の更衣室までの30mほどを、遮るものなく歩いていた時のこと。
やっと内容ですが、感覚的に一言でいえば「ふとももで歩く」でしょうか。
分類すれば、上の「緊張感そのままに歩調を落とす」歩き方の一つになります。
そして身体負荷のイメージは、「ふとももに後方斜め下方向の力を感じる」です。
これをやるとスピードは落ちるのですが、和歩の安定感が良くなりました。
それで個人的なポイントとしては、「なんか知ってるな」と感じたことでした。
身体が閃いて、頭が理解して「これは新しいな」と思いつつ、「でも知ってる」。
先週半ばに閃いてから昨日まで、この感覚には説明がつきませんでした。
「よくわからんなあ」と思いながら、通勤時も「ふともも歩き」を実験していた。
それが今日、いつもの徒歩コースを歩いている途中に、謎が氷解したのでした。
ローカルな話ですが、ぼうさいの丘近くのヨークマートの向かいにJAがあります。
JAの隣の駐車場は土地が下がっていて、その高さで住宅街が続いている。
JAの前を通る歩道から住宅街の道へ行くために、急な階段を下りることになる。
その階段のすぐ隣には、自転車を押して上がれるように急なスロープがあるのです。
僕はいつもそこを通る時に、敢えて階段ではなくスロープを下っています。
その方が楽しいからですが、ちゃんと書けば「自然に近い」からでしょうか。
山道や林道に、木を埋めて土を段々に均(なら)した階段がありますがあれも一緒で、
斜面に階段を設けてしまうと、斜面でなくなり躍動が失われてしまうのです。
まあそれは当たり前で、体を安定させて斜面を上下するための階段ですからね。
話を戻しまして、今日そのスロープに達する手前の歩道の所で「あっ」と思った。
社内で閃いた「ふともも歩き」とは、斜面を下る時の身体の使い方だったのです。
下る前に気付いて、実際に下りながらこの気付きに確信を持ちました。
何が新しかったかといえば、平地で「斜面を下るように歩く」という点です。
ふとももに感じた後方斜め下の力は、まさに斜面を下る時に受ける力です。
具体的なふとももの使い方は説明できなくて、斜面を下る時を思い浮かべた時に
「あれがふとももに力を入れることなのか」と納得するような感じです。
それで平地で斜面を下るような減速と力の入り具合がなかなか不思議なのです。
これを何か言葉で表現できないかな、と考えて思い付いたのが本記事のタイトル。
つまり「ふともも歩き」時に身体にかかる重力は真下でなく後方斜め下方向になる(!)。
ここで高校物理の力学(という言い方は大学から?)の絵をイメージしてみます。
「斜面の物体にかかる力の(ベクトルの)分解」というのがあったかと思います。
物体にかかる重力ベクトルは、斜面に垂直な成分と斜面に平行な成分に分解される。
物体が人で、斜面を歩く場面を想定すれば、人は滑り落ちないように踏ん張ります。
踏ん張る力の反力である摩擦力が、斜面に平行で進行方向と逆向きにかかる。
重力と摩擦力の合力が「ふとももにかかる後方斜め下の力」になります(たぶん)。
ん? 重力はそのまま? 当たり前か。タイトルが…ま、そのままでいっか。。