human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

「井土浩平型ポテンシャル」について

本ブログの筆者はけしてコアラを見逃さない。

 数千年後のある日、ライシャワー教授はこれを私に教えたあと、つけ加えて言った。
『これが、日本の古代史にみられる所謂コアラ型支配だ。諸君もご承知のとおり、そもそもコアラは雑食性の獣だった。ところが、流刑囚の英国人がオーストラリア大陸ユーカリを持ち込んだ瞬間から、コアラはその葉以外の一切を口にしなくなった。最近では、ユーカリの葉にコアラにだけ作用する中毒性の高い麻薬物質が含まれていることが、あまねく知られている。いずれにしろ、今や、彼らはユーカリなしでは生きていけない。もはや野生のコアラなどあり得ない。彼らはユーカリによって、生まれながら、その存在を動物園に囚われているのだ。──その事実を謙虚に想起してくれたまえ』*1

もはや野生のコアラなどあり得ない。
それは井戸コアラも同様である。
ユーカリを食べない井戸コアラは如何にしてエネルギーを得るか?
その源こそが「井土浩平型ポテンシャル」である。

 井土浩平について記す。
 私には及びもつかないという点で、彼は高薮や飾磨以上の人物であった。(…)普段の彼は言葉少なである。そうして世間のあらゆるものに対する容赦のない怨念をじくじくと培養している。時にそれが噴出し、彼は凄まじい気炎を吐くが、後になってその気炎を吐いた自分を軽蔑し罵倒し、より一層深い泥沼へと身を沈め、そうして我々でさえ溜め込むのに躊躇するような怨念をさらに溜め込むのである。私はそこに悪夢のような循環を見た。まるで彼は苦行に励む修行僧のように生きていた。(…)
 飾磨、高薮、私、この三人だけが、彼の怨念の網を逃れていた。少なくともそう願う。そうでもなければ、井戸が息を吸う場所がなくなってしまうからだ。逆に言えば、我々以外の世の中全て、この地球上に蠢くあらゆる人間たちに対して、彼は宿命的な憤りを感じていた。できるだけ彼らが不幸になることを、彼は祈った。
みんなが不幸になれば、僕は相対的に幸せになる
彼は言った。*2

井戸コアラの棲息地たる井戸は畳一畳より狭く、日本海溝より深い。
その狭さゆえマントルを突き抜けんばかりに甚大な負のエネルギーを有し、
不連続値を取りながらも井戸コアラは全生物種をその身に巻き込む。
そして来るべき未来を待ち受けながら、日ごと地殻を掘削する。

「高い場所に置かれた物体は位置エネルギーを獲得する」
高薮が唐突に言った。
「それが落下するときには、位置エネルギーが運動エネルギーに変換される」
「なに言っとるの?」
 鍋の残りを突っつきながら、飾磨が怪訝な顔をした。
「もし精神が位置エネルギーを持つとしたら、落下するときにはエネルギーを放出するはずだ。それを利用できればなあ」
 我々は人類を救うことになる絶大なエネルギーを想った。挫折、失恋、死に至る病、あらゆる苦悩が有益なエネルギーに変換され、自動車を走らせ、飛行機を飛ばし、インターネットは繫ぎ放題、アイドルビデオは見放題となる。これほど素晴らしい未来はない。そうなれば井戸のように過剰な苦悩を抱える者が人類の救世主として脚光を浴び、暑苦しいポジティブ人間はまとめてお払い箱である。彼の時代が来るのだ。
僕はまずそのエネルギーを使って、鴨川に座ってる男女を焼き払います
 井戸は四畳半の隅に発生した暗澹たる沼地から顔を出して言った。場内から「異議なし」という声が上がった。*2

すなわち「鴨川等間隔の法則」は量子力学をも司る公理なのである。

*1:矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん(上)』 ちなみに、本書の冒頭には以下のようなハードボイルドな警句が掲げられています。「アテンション・プリーズ。このフィクションは小説です。あらゆる物語はロマンスなので、登場する団体名、会社名、及び個人名と現実のそれらとは一切関係がないなどと誰に断ずる権利があるでしょう。」

*2:森見登美彦太陽の塔