human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

愛について(2)

カポーティの『遠い声 遠い部屋』を読了しました。
村上春樹氏が好きな作家、というリンクがひとつあります。
そして高村薫氏が同名の小説を書いたきっかけの『冷血』の作者としても。
気に入った箇所のうちひとつを抜粋してみます。

(…)愛のよろこびはあらゆる感動を、ただひたすら他の人間に集中することではないのだが、それを知っているのはなおさらわずかだ──われわれは常にたくさんの物を愛さなければならないからね、最愛の人なんていうのは、そのたくさんの物の象徴にすぎないのさ。世間でいう真の恋人たちにしても、実際お互いの目に映っているものは、ライラックの開花や、船の明り、学校の鐘、風景、忘れずにいた会話、友人たち、子どもの日曜日、失われた声、気に入りの服、秋やすべての季節、思い出、そう、思い出は実在の陸地でまた海だから、思い出、つまりそう言ったものなんだよ。郷愁をさそうものばかりだが、しかしそれにしても、思い出くらい郷愁をさそうものが他にあるかい?
p.162-163

愛は、時に度を超えて広がり、あるいは極端に狭くなることがあります。
愛が茫洋としたものになるのは、いわゆる「象徴の独り歩き」なのでしょう。
ファナティックな感情を生んだ当の物が消え、感情だけが取り残される。
それを何にでも代替的にあてはめられるのは、それが象徴だからです。

また、愛の対象がごく限定されるのは、象徴であることを忘れるからでしょう。
神仏の像と同じく、具体化することで対象を明確にしたくなる。
しかし信仰の普及は具体化が推進するが、個々の信仰の目的は具体化ではない。
愛の対象が具体的かつ広範にわたるのは、その源泉が抽象的だからです。


そういえば前に同じテーマで書いたような…と検索すると、ありました。
やはり抜粋をしていて、そして本記事と同じようなことを書いている。
僕の中のある考えが原型を留めつつ継続されている、のだと思います。
少なくとも日常生活のある面での安定性は、ここから導くことができます。