human in book bouquet

司書資格を活かせる仕事を探していきます。

昔の日本人の歩き方(想像)について

玉突き的に記憶が転げ落ちないことを期待しつつ、予告とは別の話を…

まず、前回の最後に少し書いた和歩におけるすり足の話について。
跳ねると身体軸がブレるというのは、まっすぐ跳ねていないからでした。
まっすぐとは進行方向に平行という意味で、真上に限りません。
というか、真上に跳ねるようでは前に歩けないわけですが。

和歩ではたぶん、踏ん張る方の足が踏み込む前後で複雑に動いています。
バスケでいうピボットのような、踏ん張りながら回転する動きとか。
(話がズレますが、これは片足全体の「ねじり動作」と思えなくもなくて、
 ねじりフリーが主旨の和歩においてどう考えればよいかと思案中です)

踏み込む足が地を離れようと踏み出す時に、地面を蹴ると勢いがつきます。
これを上で「跳ねる」と書いていますが、和歩ではまっすぐ跳ねられない。
たぶん西洋歩きの要領で跳ねようとするから、左右の斜め上にブレてしまう。
こう考えると、「和歩的な跳ね方」を見つけられればいける気もしてきます。

それはあり得てもまだまだ先の話で、現状はすり足の要領で歩いています。
このすり足がけっこうヒザにくる、と今日歩いていてはっきり感じました。
すり足の肝は踏み出し・着地時に身体重心が上下に揺れないことだと思っています。
これを意識して歩くと、重心維持分の負担がヒザ裏にかかるようです。


これに関連する話ですが、僕の土曜の長時間徒歩はラストに買い物がきます。
つまり両手フリーで散々試した後に、買い物袋を両手に提げて帰途につく。
これも今日の気付きですが、「手がふさがっていても和歩の質は変わらない」。
袋の重さ分はあるにしても、腕が不自由の状態で「肩入れ」で歩けば同じなのです。

肩入れは前に書いた、踏み出す足と同じ側の肩を少し前に傾けることです。
上下半身の傾きを制御する肝は腕振りよりは肩だとは最初から考えていました。
今日袋を提げながら歩いていて、むしろ和歩の姿勢が安定したように思いました。
つまり和歩は手や腕の状態に関わらず安定して歩けるのでは、と言いたかった。

そこから連想が働きまして、先に列挙すると「二宮金次郎、飛脚、忍者」です。
二宮金次郎は薪を背負いながら本を読む姿の像が有名です。
像の細かい姿勢は覚えていませんが、像だけに立ち止まっている印象がある。
けれど像の趣旨からすると「薪を担ぎ、運び歩きながら読書」のように思える。

つまり二宮氏はたぶん歩きながら本を読んでいた、ということになる。
現代の感覚では「手がブレて読めないのでは?」と思ってしまう所です。
(そういえば「歩きスマホ」があるな…あれ酔わないんですかね?)
昔の道が舗装されていなかったことを考えると、なおさらです。

が、上記の和歩の連想から二宮氏はちゃんと読めていたのでは、と思ったのです。
昔の人は、腕を使わなくとも安定した姿勢で歩くことができた。
それは大体の人間が急いで歩く必要がなかったことも関係していそうです。
時間感覚も今とは全然違って、日が昇った暮れた、くらいの大雑把な…?

まあそれは知りませんが、逆に急ぐ人はどんな人だろうとも考えてみました。
それが上に列挙した飛脚や忍者や、あと時代は飛びますが武士とかでしょうか。
(と書きながら何時代といった話には疎いのであまり気にしないで下さい)
今挙げた職業(身分?)の方々は、みんな歩きや走りに腕を使っていない気がします。

飛脚は荷物を吊るした棒を肩に担いで走りますが、腕を振れる体勢ではない。
走りながら手裏剣を打つ忍者は、腕と身体が別々に動いているように見える。
あるいは刀と鞘(腰?)に手を触れながら走る侍も時代劇で見た記憶がうっすらと。
どこまでが本当(当時を再現している)かはさておき、今の僕は「アリかな」と思う。

それで効率良く走れたかどうかは、現代の基準からすればよく分かりません。
が、そういう身体運用が当たり前だった時代が(たぶん)あった。
昔の人の身体運用に倣えば、昔の人ができた動きが現代人にも可能かもしれない。
甲野氏の古武術の研究は、昔の人の身体運用を現代に活かす目的が一つあるはずです。

と、なんだか無理やりまとめた感じになりましたが。


今日もう一つ感じたのは、和歩は効率良く前に進まない、ということ。
エネルギィの消費と歩行スピードに若干の違和感がある。
一言でいえば燃費が悪い、となりますが、これは西洋歩きと比較してのこと。
まあ相撲や能・狂言のすり足をイメージすれば分かりやすいかと思います。

それは西洋歩きにはある腕振りやバネの動きが、和歩にはないからです。
腕振りは「力の変換」の、バネは「力の増幅」の効果があります。
どちらも歩行時の様々な身体動作を「前に進むこと」に利用するようにはたらく。
それに頼らないということで、まあ和歩が疲れるのは当然か、と思うことにしました。

それが心地良い疲労かどうかは現状なんとも言えず、経過観察項目となっています。


今日は他にも思い付いたのですが、書き切れないのでトピックだけ箇条書きしておきます。

  • 歩く地形について(たとえば荒れ地や山道での和歩の安定性)
  • お年寄りの歩き方について(上半身が大きく左右に揺れるのは西洋歩きの終着形?)
  • スキーのストックのイメージについて(あるいは足と同時に手も”仮想地面”に着地する)
  • 和歩の「気配のなさ」について(「肩で風を切らない」歩き方?)