human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

仮想空間の臨場感について

たけさんのアカペラおふとんソングが㌧でもない。
オウフ㌧ソングだけにオウフヘーベンせざるをえない。
という通じないジョークは自分にも通じないので冗句でしかない。
それはさておき、ボカロのアカペラを聴けばいつも往年の名曲を思い出す。

自分は高校でアカペラをやっていたので、聴くとまず歌ってみたくなる。
声域は昔より下がったが、ベース担当だったので今でもできないことはない。
アカペラを数人で歌うと、まず肉声が共鳴することに全身がビリビリ震える。
その共鳴は、歌う空間によって減衰もするし、増幅もする。

大阪城の隣に高校があったので、大阪城の庭(外堀?)でよく歌っていた。
あれはあれで気持ちよかったのだけれど、天満橋の駅の半地下もよかった。
駅から川の方(タクシー乗り場)に出る階段の踊り場でも練習していたのだ。
声が反響する空間で歌うと、自然と自信が漲ってきたのを覚えている。

アカペラの歌を聴くと、「どこで歌っているんだろう?」と時々考える。
ライブやアマチュアの録音も含めれば、単純にレコーディング室だけではない。
そのような思考をボカロのアカペラに当てはめてみようとさっき思った。
すると、すぐに「仮想空間だろうな」と思い付いた。

屋外か屋内か、部屋の大きさはどれくらいか、壁は反響するか吸収するのか…
といった実質を想定できない空間が、仮想空間。
そしてそこは、頭の中の想像において存在しうる空間でもある。
そして僕の興味に照らせば、そこは「脳内音楽」が流れる空間でもある…

のかもしれない、というこれは直感的な連想です。
「脳内音楽」とは、外部環境に曲が流れてなくても頭の中を流れる曲のこと。
それを「仮想空間に仮想的(恣意的)に構成された曲」と考えてみると、
ボカロのアカペラは「仮想空間に実際に流れる曲」と言えたりしないだろうか。

訳の分からない話ですが、「現実的な夢」と似た感覚で掴めるかと思います。

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「僕が君の 言葉になる」

HB
曲:ぱすてぃ
絵:sora_iro、agatha
声:鏡音レン