human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

身体動作の余韻について

剣術の話です。

上段に構えた剣を、素早く振り下ろす基本動作について。
肩や腕に力を入れれば、振り下ろす間に達する速度は上がるかもしれない。
体全体を鞭のようにしならせて、波を増幅させて剣に伝えればなおさら。
けれど、そのような動作は剣を振る前の「起こり」も大きい。

剣そのものが動く前に、身体の各部が予備動作をしてしまう。
剣の瞬間最高速度を目指すなら別にそれで構わないかもしれません。
が、相手がいるとして、相手が体感する剣の速度とそれは一致しません。
「起こり」と剣先の揺れが感知されれば、剣の進路を予測されてしまう。

という想像のもと、「体感速度」の観点から素早く振り下ろしたいとする。
そこで、相手が速く感じるなら、剣を振る自分も速く感じるはずだと思う。
理想は「気がつけば剣を振り下ろしていた(そして相手は斬られていた)」。
バガボンド』で武蔵が清十郎を倒した時がこれですね。


という実感を、さっきちらりと感じたような気がしました。
「前に躓いた時の勢いを振り下ろしに利用する」ことをやっていました。
右足を前に出して前屈みになり、右足を「抜く」と躓いた状態になる。
その勢いをうまく剣に伝えれば、素早い振り下ろしができる。

前のめりの勢いが剣に伝われば、腕に力を入れずとも剣のスピードは出る。
通常の振り下ろしと比べて、振りが「軽い」感覚があると思います。
同じ剣の速度を出すのに必要な(筋肉の)力が少なくて済む、という体感です。
それはそれで、けれどこの振りには「手応え」があまりないのです。

力を出すだけ速くなる、という単純な比例計算で考えると当然です。
躓きを利用した身体全体の振り下ろしは、かけた力で速度が測れない。
では、その動きで「素早く振れたかどうか」を見るにはどうすればよいか。
さっき思ったのは、ひとつ「その余韻を感じる」ことかなあ、と。

手応えというのは、振り下ろしているまさにその瞬間に身体が感じるものです。
身体、というより手や腕などの身体の一部と言った方が近いかもしれません。
余韻はそれとは違って、振り終えた後の回想なのです。
動きに詰まり(不連続)がなかったか、身体全体がバランスよく緊張したか…。

その回想の中身をもっと掘り下げて言葉にできればいいのかな、と思いました。