human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

鷹取の手の内側の空気について

身体の重心の感覚の話です。

一本歯の両足の歯を揃えて安定して立つ静止動作は基本形です。
まず入口としては、身体が前後にふらつかないように安定姿勢を探る。
次に、身体に力んだ局部があるとそこが震えるので、それをなくす。
それがうまくいけば、前後にふらつかず、かつ身体全体が静止する。

その安定姿勢を探る方向性として、身体イメージの構築があります。
安定性の高い物体をイメージすれば、立姿勢も安定するように思う。
ただ、ソリッドな物体をイメージすると、身体の緊張も伴ってしまう。
二律背反的ですが、しなやかでかつ安定な身体イメージが要求されます。

「鷹取の手」を、身体を意識して動かす時にいつも取り入れています。
通常の直立姿勢だと、地面に対して踏ん張る下半身に力が入りがちです。
鷹取の手は、手に不安定な緊張をつくり腕全体を緊張させる効果がある。
この緊張は「筋肉が固くなる」ではなく「筋細胞が活性化する」イメージです。

自分で書きながら「筋細胞ってなんだろう…」と思ってしまいますが…

とにかく、身体全体の緊張の原因が身体の一部(局部)の緊張にあるとすれば、
身体全体を満遍なく緊張させれば身体全体の緊張は和らぐと考えられます。
話によく聞く「イワシの群れの一斉行動」のイメージです。
例えば筋細胞の弛緩=1匹のイワシ睡眠中、筋細胞の緊張=イワシ遊泳中、とか。


本論に戻りますが、鷹取の手をやると、その手の内側の密度が変わります。
そういう感覚になる、という話で、気体の構成元素が周囲と変わるわけではない。
ないのですが、「手の内側の空気は周りと違う」という感覚はある。
また抜粋したいですが、矢萩氏の言葉でいえば「仮想境界」がそこに発生する。

それでその仮想境界というものは、内部空間の強さに応じて伸縮します。
鷹取の手のイメージに応用すれば、このように表現できます。
周囲と異なる手の内側の空気が、周囲の空気を押しのけるように延びる、と。
ここまでが前段で、さっき思い付いたのが以下の話になります。


両手で鷹取をやって、両手から延びた空気が、延びた先でくっつく。
両手が管で繋がっているような話ですが、その管はとても伸縮するのです。
鷹取の手の指の力の入れ具合や、手の向きをちらりと変えればぐにょんとしなる。
トポロジックなイメージが必要で、例えば物理法則を無視した手風琴のような。

そしてここがポイントで、そのエアー手風琴が身体の重心に関与するのです。
さっき一本歯で立姿勢をとっていて、鷹取でエアー手風琴を弄んでいました。
その手風琴が身体を取り巻くように漂うイメージに、しっくりくるものがあった。
これはなんだろう、と思い、ちょっと文章化してみようと思ったのでした。

身体の重心にどう関与するか、ですが、例えば手風琴を身体の一部と考える。
分かりやすい喩えに変えれば、自分の髪の毛がすごく長い(そして多い)状況。
そして髪の毛たちは自分の身体のまわりをふわふわ漂っているわけです。
髪の毛には重さがありますので、漂う位置によって身体の重心は変わります。

その漂い方が、「身体の重心の変化を和らげるように漂う」とすればどうか。
上半身が左に傾けば、漂う髪の毛は全体的に右に移動するのです。
すると、上半身の動きと髪の毛の動きが相殺されて、身体の重心は変わらない。
そして何と、髪の毛は野性的本能によって本人の無意識のうちに動く。

アニメでありそうな絵だなあ…

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今回から、はてなグループ「あなたの世界観を語ろう」に投稿しています。
タグにある通り、本記事のテーマは「身体論」です。
身体の動きや感覚を言葉にして、その言葉が身体にどうフィードバックされるか。
そのような、身体と言葉の関係(相互影響の可能性)を模索したく思っています。

興味がありましたら「身体論」タグの過去記事もご参照下さい。