human in book bouquet

本格的に本と関わっていきます。

色気について

”色気”と”媚び”を、一緒にしない方がいいと思う。”媚び”とは、失敗した色気だからである。(…)
「色気がなくてもかまわない」、あるいは「色気ってなに?」とやってる女性は、大方のところ、”色気”と”媚び”を混同しているのである。
 というわけで「色気とはなにか?」ということになるのだが、これは、”譲歩する知性”である。もっと正確に言うと”譲歩能力を持った強い知性”である。
(…)
 弱い人間は強い人間に譲歩を強要される──この”強要される”の部分だけをとらえて「譲歩は屈辱の旗印」と言うのは、色気と媚びを混同する愚と同じである。譲歩というのは色気に根ざした能力なのだからして。
「色気がない!<表>」(橋本治『絶滅女類図鑑』)

「失敗した色気」というのが凄い表現だと思います。
妬みという視界の濁りもあるけれど、媚びを発見したそこには色気はない。
そしてまともな色気は知性でさえある。
譲歩能力を持つ人は、イエスマンとは違います。

譲歩を「強要される」と受け取らないこと、がひとつ重要です。
譲歩せざるを得ない場面なんて日常にいくらでもあります。
それを「強要される」と思えば、その譲歩の機会がマイナスに捉えられてしまう。
「ここは我慢して…」などと言っても、屈折が蓄積されるだけです。

「”自分”のある譲歩」というのが、あるのだと思います。
能動的か受動的かに構わず、その機会を自分のものにできるか。
論理的な納得が付随せずとも、「これでいいはず」という自分への信頼、または予感。
思い出の質を決めるのは内容ではなく(現在の)心持ちである、と同じことです。

自分が色気を出そうとするより、色気のある人を感じられることが先なのでしょう。