human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

変化のこと(3)-焼き魚と箸捌きの弁証法-

「カレイの発掘調査」の話です。

少し前に『東海レトロスペクティブ』(野口芽衣)を読みました。
タイトルに惹かれて(京都…)、読んでみると考古学のマンガでした。
「モノはずっと残るんだ」という悠久ロマンが爽やかに感じられました。
調査には発掘だけでなく測量やスケッチなど各役割のチームワークが大事らしい。

この本を読んだことが読んだ次に思い出されたのが会社で昼食をとっていた時。
社食は日替わり定食が2種類あって、大体が肉と魚に分かれています。
自分はある時期からよほど面倒な魚でない限り、魚を食べることにしています。
面倒というのは骨取りや頭の処理のことで、例えばサンマの丸焼きが該当します。


それでカレイも面倒な部類に入っていて、何しろカレイは平たいのです。
まあ実際に平たいからかどうかは知りませんが、骨にバラエティがある。
背骨から両側に櫛歯状に広がる骨とは別に、体の端(ヒレ?)にも骨が並ぶ。
この骨は櫛歯骨とは緩やかにしか繋がっておらず、すぐに一本一本が取れてしまう。

といった観察も上の「思い出した時」にやったことですが、まあ話を戻します。
その時はたまたま気分が良かったか、面倒な「カレイの煮付け」の定食にしました。
テーブルに運んでさあ食べようという時に、なぜか、観察から入った。
そしてその時初めて「肉を内から外に取れば骨がとれない」と気付いた。

要するに、櫛歯骨の根元から先端にかき出すように肉を取ればいい。
僕は他の食べ物と同じく、魚も端っこから食べるものだと思い込んでいたのです。
それで、箸を背骨近くに刺して、一方を背骨に付けて「箸を開く」動作をする。
その時にふと、「そういえば僕は箸を開けるようになったのだ」と思いました。

実はこの1年より以前は、箸を一度閉じると(持ち直さないと)開けませんでした。


想像だけではよく分からないので、今実際に箸を持ちながら書いてみます。
昔は、上の箸(一本)を親指と人差し指で持ち、下の箸を残りの三指で持っていた。
そして上の箸と下の箸の間に、指は挟まっていませんでした。
一般的には、中指が上の箸と下の箸の間に挟まる、のではなかったかと思います。

なぜそこが曖昧かといえば、独自に使いやすさを試行錯誤して練習したからです。
その結果の今の持ち方は、上の箸が親指から中指までの三指、下の箸が残り二指。
そしてやっぱり、上箸と下箸の間に中指はいません。
(あ、上に書いた持ち方は全て、下の箸を持つのに親指の腹も使っています)


それで橋の持ち方を直そうと思ったきっかけが、別にあります。
友人の結婚式に出たお礼のカタログギフトで、漆塗りの箸を選んだのでした。
貝か何かを埋め込んで描かれた兎が可愛くて、何も考えずに選んだのでした。
その友人との関係もあり、兎箸が思い入れの品となり、一念発起の流れとなった。

その友人とは、書く度に笑えるのですが、CH3COOH氏のことです。(内輪ネタ)

そうやって曲がりなりにまともに箸が使えるようになったのが、去年のどこか。
それから意識的に魚を食べるようになり、そしてそのことを忘れていた。
変化後の状態が、日常になったということだと思います。
そして自分は(牛や豚等の)肉派ではなく魚派だったことが判明したのでした。

つまり「一週間ずっと片方しか食べちゃダメ」と言われれば魚を選ぶということ。
もちろん肉は好きですし、無性に食べたくなる時もある。
けれど魚と比べれば、肉の方が「非日常」という気がします。
「魚より肉が好き」な人の多くは箸使いに難儀している、と自分の経験は語ります。

発掘調査の話はどこへ…

東海レトロスペクティブ (アヴァルスコミックス)

東海レトロスペクティブ (アヴァルスコミックス)

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